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出版部
2022/02/3
柳澤吉保を知る 第9回:柳澤家と甲斐国 ―3本の寿影(その一)一蓮寺本―(宮川葉子)
はじめに 柳澤吉保を知るの第8回では、吉保主催の武田信玄133遠忌を中心に、吉保の信玄への思いを辿った。信玄生誕500年記念として甲州市の恵林寺で開催された講演会(2021年12月8日)の活字化である。 本稿はその拾遺にあたる。甲府市の一蓮寺に奉納された吉保寿影を手掛かりに、吉保の甲斐国での立ち位置 […]
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出版部
2022/02/3
やさしい茶の歴史(一)(橋本素子)
喫茶文化史とは何か これまで、茶の歴史を扱う分野は、「茶道史」や農業史のなかの「茶業史」であった。特に茶道史では、千利休が「茶の湯」を大成するまでのひとすじの流れを描くものであった。しかし、その流れから外れる事柄は、「茶の湯」の通史に無理に引き付けて理解されたり、逆に全く評価されなかったりと、フラッ […]
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出版部
2022/01/12
『上皇と法皇の歴史 仙洞年代記』の魅力(槇道雄)
院政時代に限らず、歴代上皇・法皇の歴史や院政形態の全体像をわかりやすく解説した年代記を発刊。著者がその読みどころを紹介。 なぜ「天皇」の読み仮名は「てんこう」ではないのか? 今日、「天皇」を「てんこう」と読むことは通常ありえない。なぜならば、マスコミなどを通して、あらゆる機会に「天皇」は「てんのう」 […]
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出版部
2021/12/15
柳澤吉保を知る 第8回:吉保の武田信玄への思い―吉保執行信玄133回忌を中心に―(宮川葉子)
はじめに 柳澤吉保を知るの第7回では、吉保側室正親町町子を、公家文化を柳澤家にもたらした人物として探った。 今回は、残る4人の側室と子息・子女を扱う予定であったが、変更し、吉保執行の武田信玄133回忌を中心に、柳澤吉保・吉里の甲斐国経営を見ておく。 本年は信玄生誕500年。様々なイベントが開かれる中 […]
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出版部
2021/11/10
柳澤吉保を知る 第7回:吉保の側室達―(二)正親町町子―その2―(宮川葉子)
柳澤吉保を知るの第6回では、町子の実父は正親町公通、実母は水無瀬氏信女で大奥総取締に至った右衛門佐の局であることを検証した。当該第7回では、町子が吉保にもたらした堂上文化と2男児について見て行く。 吉保と北村季吟と古今伝受 ここで町子自身からはいささか遠ざかるが、町子を語るに避けて通れない古今伝受に […]
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出版部
2021/10/8
柳澤吉保を知る 第6回:吉保の側室達―(二)正親町町子―その1―(宮川葉子)
吉保の側室6人のうち、飯塚染子に次いで側室となったのが正親町町子である。 正親町公通 公通は承応2年(1653)、正親町実豊末子として、藤谷為賢女を母に誕生した。吉保より6歳年長である。 元禄6年(1693)武家伝奏(武家との連絡にあたる朝廷の要職)、同8年権大納言、正徳2年(1712)叙従一位。山 […]
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出版部
2021/09/7
柳澤吉保を知る 第5回:吉保の側室達―(一)飯塚染子―(宮川葉子)
吉里誕生 吉保には側室が6人いた。最初が貞享4年(1687)に継嗣吉里を生んだ飯塚染子である。 吉保が無嗣絶家を免れ、柳澤中興の祖となり得たのは、ひとえに吉里誕生と無事な成長に依る。染子は男児3人、女児1人をなしたが、吉里以外は4歳未満で早世。吉里のみ残ったのであるから、柳澤家の好運も危うい確率にあ […]
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出版部
2021/08/25
『宇治堀家文書』とは(橋本素子)
静岡茶、狭山茶と並んで日本三大茶と呼ばれる宇治茶。しかしその長大な歴史とは裏腹に、宇治茶師の家の文書はほとんど現代に残っていません。今回は、中近世移行期に繁栄を見せた茶業の様子を知ることができる唯一の文書群といえる『宇治堀家文書』の見どころについて、見ていきたい。 『宇治堀家文書』翻刻の意義 宇治茶 […]
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出版部
2021/07/27
柳澤吉保を知る 第4回:吉保と綱吉―身体に障害を持って生きること―(宮川葉子)
コラムの第3回「吉保正室曾雌定子―その2 桂昌院の叙任と定子の登城―」で、綱吉生母桂昌院が、「普通の母親以上に綱吉を気遣う必要があった」理由を、次稿で述べたいと予告した。以下がそれである。 大樹寺の位牌堂 三十数年も前、愛知県岡崎市にある松平家と徳川家の菩提寺大樹寺位牌堂でのことである。そこには、寬 […]
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出版部
2021/07/5
柳澤吉保を知る 第3回:吉保正室曾雌定子―その2 桂昌院の叙任と定子の登城―(宮川葉子)
桂昌院の叙任 吉保45歳、定子43歳の、元禄15年(1702)3月9日、桂昌院(綱吉生母)が従一位に叙された。皇室との緊密な関係を育んで来た吉保の成果であった。 叙位当日、年頭の勅使・院使等(毎年3月初旬に朝廷から幕府宛てに発遣された新年賀詞伝達の公家衆。因みに浅野長矩が殿中で吉良義央に刃傷に及んだ […]
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出版部
2021/06/9
応仁・文明の乱ののち、経済的に困窮する朝廷と権力の凋落が著しい足利幕府とのせめぎあい!?(鶴﨑裕雄)
公家と武家のはざまで交渉に苦労する武家伝奏広橋守光の日記『守光公記』。32年の歳月をかけ、翻刻出版が完成! 記主について 記主広橋守光は、文明3年(1471)、町広光の子に生まれ、広橋家の養子となった。町・広橋両家は藤原北家の日野一族の支流である(国史大系『尊卑分脈』)。朝廷への出仕は文明11年8月 […]
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出版部
2021/06/8
柳澤吉保を知る 第2回:吉保正室曾雌定子―その1 定子の湯治―(宮川葉子)
吉保は延宝4年(1676)2月18日、父方の同族、曾雌盛定女定子と婚姻。吉保19歳、定子17歳の夫婦であった。以後正徳3年(1713)9月5日、定子が先立つまで足かけ38年共に過ごす。出世街道を驀進する夫に寄り添い、決して出しゃばらず、わきまえた賢夫人であった。然程丈夫でないため子供が授からず、吉保 […]
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出版部
2021/05/12
柳澤吉保を知る 第1回:吉保誕生(宮川葉子)
徳川綱吉(1646~1709)は、江戸幕府第5代将軍であるのは申すまでもない。在職は延宝8年(1680)から宝永6年(1709)の約30年。その全期を通じ、側近とし滅私奉公したのが柳澤吉保(1658~1714)。当時将軍側近は側用人と呼ばれ、将軍と老中の間に位置して両者を取り次ぐ権力者であり、吉保は […]
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尊経閣善本影印集成
2021/05/10
高精細カラー画像で中世人の「声」を聞く―『蔗軒日録』の世界から(川本慎自・東京大学史料編纂所)
季弘大叔と3人の来客 蔗軒日録しゃけんにちろくは、室町時代の東福寺僧・季弘大叔きこうだいしゅく(1421-1487)の日記である【図1】。季弘の生国が備前国であることから、「吉備」と音通の「蔗きび」をとって「蔗軒」と名乗ったのが書名の由来である。文中には「甘蔗庵」と名乗っているところも見られる。 日 […]
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出版部
2021/05/7
松平定信の晩年の自筆日記『花月日記』(岡嶌偉久子)
史料纂集古記録編『花月日記』は、江戸幕府老中筆頭であった松平定信の自筆日記である。「寛政の改革」後、引退して白河藩下屋敷に隠棲して以降、17年間の長期にわたる詳細な記録。 幕政を離れ、引退後の日々の日常が書かれたその日記には、数多くの和歌とともに家族や親族、友人たちが登場し、ところどころに定信の人物 […]