平城宮の内裏と西宮 ―『新皇居行幸年表』編集余滴4(詫間直樹)

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  • 平城宮の内裏と西宮 ―『新皇居行幸年表』編集余滴4(詫間直樹)

    奈良時代の皇居に関わる表記には、「内裏」のほかにも「中宮」(ちゅうぐう)、「中宮院」(ちゅうぐういん)、「西宮」(さいぐう)、「東宮」(とうぐう)などがあり、『新皇居行幸年表』の編集においては、これらの呼称を平城宮内のどこに比定すべきかという問題に直面した。このうち中宮・中宮院については平城宮の東区 […]

  • 別殿行幸について ―『新皇居行幸年表』編集余滴3(詫間直樹)

    別殿行幸とは 別殿行幸(べつでんぎょうこう)とは、天皇が方違えをする必要が生じた場合などにおいて、同じ皇居の区画の中で、清涼殿などの常御殿から別の殿舎に移御することをいう。通常は昼御座(ひのおまし)の御剣などを携えて夜中に吉方の殿舎に移り、一夜を明かして本殿に還御するものである。本来、行幸とは天皇が […]

  • 当梁年と内裏造営 ―『新皇居行幸年表』編集余滴2(詫間直樹)

    平安時代中期以降、内裏あるいは里内裏が相次いで焼亡するが、朝廷はその都度、再建の努力を重ねてきた。『新皇居行幸年表』では当然こうした事柄の年月日を掲出しているが、年表という性格上、なぜそのような造営経過をたどったのかなどの具体的な理由までは記していない。そこで、今回は特に内裏の立柱・上棟の時期に影響 […]

  • 江戸時代の朝覲行幸―『新皇居行幸年表』編集余滴1(詫間直樹)

    この度刊行した『新皇居行幸年表』では、書名の通り皇居の変遷に加え行幸の事例についても確認できる限り採録しているが、全時代を通覧することで新たな課題が見つかることもある。ここでは、これまで十分に知られていない江戸時代の朝覲(ちようきん)行幸について述べることとしたい。朝覲行幸とは、天皇が太上天皇(上皇 […]