• twitter
  • facebook
出版部

やさしい茶の歴史(六)(橋本素子)

北斗供の茶――茶は「仙薬」

今回は、院政期以降、密教の流行により盛んにおこなわれるようになった私的修法である、北斗供と御影供について見ていこう。

まず北斗供である。これは本尊として星曼荼羅(北斗曼荼羅)を掛け、息災や延命を祈る修法である。陰陽道や道教とも関係する。まず平安時代中期には、本命星(一生変わらないその人の星)を重視した星供が行われた。平安時代後期になると、七星全体を供養する北斗供が中心となり、やがて星供は北斗供に取り込まれた形で行われるようになった。

このなかで、茶は会場荘厳の供物、つまりはおそなえのひとつとして使用された。

鎌倉初期、東密(真言密教)最大の図像集である『覚禅鈔』の「北斗法」には、「星供次第」として小野祭文次第、つまりは醍醐寺で行われた北斗法で読まれた祭文を掲載している。祭文とは、神仏に対する祈願や祝詞として用いられる願文である。そこには、

煎茶・仙菓・名香・紙・銀銭の礼奠を献じ奉り、過を謝し、罪を恥ず

とある。つまりは、煎じ茶、菓子(棗もしくは干柿)・香・紙・銀銭といった供え物を供えて、これまでの過ちや罪を反省することで、災いを除き延命できるように祈るのだ、ということを述べている。

ちなみに同書では、北斗供で茶を供える理由として、「茶は仙薬」であるからとしている。「仙薬」とは不老不死の薬のことであり、これが北斗供の目的である「延命」と合致するからと見られる。

現代の星供の茶

この星供―北斗供は、現在でも節分の際に寺院で行われていることをご存じであろうか。

もう10年以上前のことであるが、この情報を得た筆者は、節分の時期に京都のいくつかの寺院を回ったことがある。

まず、御所東にある京都の清荒神として知られる天台宗の護浄院を訪れた。本堂を覗くと、うす暗い本堂の中に、掛物の本尊や大壇上の密教法具などがぼんやり見える。どうやら茶も供えられているようである。

そこへちょうど通りがかった住職に「供えてある茶はどのような茶ですか」と質問させていただいた。すると「よき茶だ」と答えられた。「よき茶とはどのような茶ですか」と再び問うと「よき茶はよき茶だ」と答えられた。こちらは天台宗ではあるが、禅問答がはじまりそうな雰囲気であったため、質問を変えてみた。「茶は抹茶ですか、煎茶ですか。それは攪拌しますか、しませんか」と。すると「抹茶で攪拌しない」との答えであった。これでおおかたが分かったので、礼を言ってその場を去った。

すなわち、禅宗、真言宗、天台宗などの寺院でのおそなえの茶には、抹茶でも茶筅を使って攪拌しない茶がある。台付きの天目などの飲茶用の器物に、先に白湯や水を入れ、その上から抹茶を入れて、攪拌しない。何故攪拌しないのかは、どなたに尋ねても、首をかしげるばかりで、いまだ明確な答えが得られていない。またこれに関した史料も得ることができていない。その理由をご存じの方がおいでならば、是非にご教示をお願いしたい。

北斗供の茶は、院政期には、平安時代前期に伝来した唐風喫茶文化の煎茶法の茶が供えられていた。中世になり宋風喫茶文化の点茶法の茶が伝来してからは、煎茶法の茶を点茶法の茶に置き換える場合が見られた。護浄院の北斗供の供茶はこれにあたろう。そして近世には明風喫茶文化の淹茶法の茶が伝わったことにより、それ以後煎茶法の茶や点茶法の茶を淹茶法の茶に置き換える場合が見られた。もちろん置き換えない場合もある。

また気をつけたいのが、星供において茶は、必ず供えられるものというわけでもないことである。例えば、京都の真言宗因幡堂平等寺では、節分に護摩木を焚いて法要を行うが、茶は供えられていなかった。これは宗派の別によるものではなく、寺院の別によるものと見られる。

茶が必ず供えられるものではないというのは、中世も同じことであり、星供、北斗供の内容や供物は法会ごとに異なり、茶を供える場合も、供えない場合もあった。つまりは、史料に星供、北斗供を行ったとする記載があるから、茶を供えたに違いない、ということにはならないのである。

東寺御影供の茶

次に御影供における茶の使用について見ていこう。

御影供とは、祖師・先師の画像を懸けて供養する法会のことである。

特に真言宗では「弘法大師御影供」を指す。空海の忌日は3月21日でこの日に正御影供、毎月21日に御影供が行われる。そこで茶は、おそなえのひとつとして供えられることがあった。

保延5年(1139)3月21日に東寺で行われた正御影供では、その表白(ひょうひゃく)に「更に数盃の茗茶を納む」とあり、茶を供えていることがわかる。表白とは、法会の際に、三宝や参会者に告げ知らせるために、導師が仏前で読み上げる法会の趣旨を書いた文のことを言う。

現代の東寺御影供の茶

こちらも10年ぐらい前になるが、東寺西院(御影堂)で行われる正御影供に行き、お寺の方に「茶を供えていますか」と質問したことがある。すると最初の答えは「うちではやっていない」であった。しかしよくよく伺うと「茶道家元による献茶式のようなものはやっていない」という意味であり、実際には西院の弘法大師像前には茶が供えられていた。しかしそれは、御影供だからといって供えるものではなく、生身供として御膳と共に毎日供えられるもので、煎茶であった。

ただ西院の前の空間には、参詣者に振る舞うべく、蛇口付のタンクに入れられた番茶と湯のみが用意されていた。これは参詣者が自分で蛇口をひねって湯のみに入れて飲むことができた。現代版、参加者へのもてなしの茶であろう。

このように、現代の寺院における年中行事のなかにも、おそなえ、おふせ、もてなしという、古代以来の茶の使用方法が生きているのである。


橋本素子(はしもともとこ)
1965年岩手県生まれ。神奈川県出身
奈良女子大学大学院文学研究科修了
元(公社)京都府茶業会議所学識経験理事
現在、京都芸術大学非常勤講師

〔主要著書・論文〕
『中世の喫茶文化―儀礼の茶から「茶の湯」へ―』(吉川弘文館、2018年)
『日本茶の歴史』(淡交社、2016年)
『講座日本茶の湯全史 第一巻中世』(茶の湯文化学会編、思文閣出版、共著、2013年)
「宇治茶の伝説と史実」(第18回櫻井徳太郎賞受賞論文・作文集『歴史民俗研究』、板橋区教育委員会、2020年)
「中世後期「御成」における喫茶文化の受容について」(『茶の湯文化学』26、2016年)