入江文庫の大コレクション 【紙魚の昔がたり21】

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  • 入江文庫の大コレクション 【紙魚の昔がたり21】

    (八木) つぎに先ほど反町さんが言われた「入江文庫」の件、これも最初私に話のあったもの。手帳を見ましたら、総売上げが百三万円になってましたですね。  (反町) それは第一日の分……。  (八木) ええ、古書会館でやった分です。  (反町) それから翌日本郷へ行ってやった分が二十万円余り。二日分合わせ […]

  • 瀬石の「道草」の自筆原稿 【紙魚の昔がたり20】

    (八木) あの方(勝本清一郎氏)が言っておられたことですが、若い時は活字だとか肉筆の原稿を集めていたけれど、年をとって目が悪くなってくると、絵の方に移っていく。最後には陶器へいく。触覚で追求するようになったから、おれもこれで終わりだってことを言っておられました。  これもどなたから買ったのか忘れまし […]

  • 『我楽多文庫』の原稿を二千円で 【紙魚の昔がたり19】

    (八木) 勝本さんの話が出ましたので順序は前後しますが、尾崎紅葉の『我楽多文庫』の原本の話をしましょう。昭和十四年一月に、大阪日本橋の天牛書店の二階で、生田文庫という明治物の収集家の売り立て会がありました。その時に、尾崎紅葉が十九歳の時に、山田美妙・石橋思案等の友人たちと一緒に、肉筆の回覧雑誌をつく […]

  • 樋口一葉の日記など 【紙魚の昔がたり18】

    (八木) それで、そのうちに何か埋め合わせするからってことだったんですが、まだ何もない。……それでその時の目録は現在でも私の手元にあります(笑い)。もうひとつ別の失敗談があるんです。終戦後の、第一回の芥川賞をもらわれた由起しげ子さんの受賞作で、「本の話」という題の小説があります。そのモデルになってし […]

  • 五島慶太と張り合う 【紙魚の昔がたり17】

    (反町) グループ共同仕入を実行して成功したのは、桑名の松平家、有名な白河楽翁さんの家の本。ずいぶんの大口で、小石川のお屋敷にあったもの。その全部を五十万円か六十万円かで買った。それは、そっくりまとめて、天理の中山正善さんに売りました。すでにそういう実績があった。で、急に皆さんに呼びかけて、金を出し […]

  • 五〇〇万円の大口 【紙魚の昔がたり16】

    (八木) それと同時に、松坂屋時代の、子規よりももっと大きな思い出は、久原文庫のことです。現在の大東急文庫の基礎になっている大蒐集ですが、当時すでに久原家の都合で、所有権は親戚の藤田家に移っていて、現物は京都大学に寄託してありました。この頃、二十二年かと思いますが、藤田さんの方でお金が入り用で、売り […]

  • 子規庵の子規草稿本を引出す 【紙魚の昔がたり15】

    (反町) その話をモ少しして下さいな。子規庵の本をあなたが引出したことは、明治物の市場では、特筆すべき大きな事件ですから。どういう経路で……。 (八木) 御承知の通り、根岸の子規庵は戦災でやられて、焼けてしまいました。ですが庭に土蔵がございまして、中に入れてあった原稿類は、幸いに全部無事に助かったわ […]

  • ウブな大口仕入の数々 【紙魚の昔がたり14】

    (八木) で、仕入の方は、他の店があまり広告をやらない時代に、朝日新聞の東京版と地方版を使って、相当盛んに広告したもんですから、月に何回もトラックで運ぶような大口の仕入がありましてね。一つ二つをあげて見ますと、神奈川電気の社長をやっておられた松田福一郎さん。この方は美術書。随分良い物がたくさんありま […]

  • 松坂屋古書部として大発展 【紙魚の昔がたり13】

    (反町) 誰れもが金の一番ない時期でしたね。それというのは、二十一年の三月に、新円と旧円の切り替えでね。どんなにたくさん金を持っていても、一定限度以上は、政府は新円と取りかえてくれない。最高が五百円限度です。それで、あとは生活費を毎月いくらかずつ、家族の人数に応じて、新円を旧円と取換えてくれるだけ。 […]

  • 売る物なしのデパートで古書部開店 【紙魚の昔がたり12】

    (反町) 戦争の影響で用紙が極端に不足したから政府は消費を無理にも減らすために統合を強制した。紙は配給制ですから、数社が合併しなければ配給しないという指令を出したわけですね。  (八木) 東京へ出てきたが、神田のすずらん通り、東京堂のすぐ側にあった私の店は、留守を託した弟の福次郎が、田舎に帰る時に売 […]