コラムバックナンバー(2022年7月)

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  • 栄西と茶——やさしい茶の歴史(八)(橋本素子)

    栄西の入宋と茶 今回は、栄西と茶についてみていく。 実は、日本における「茶祖」と称される栄西ではあるが、茶に関わる史料は思うほど多くはない。『吾妻鏡』建保2年(1214)2月4日条の記事、あとは栄西自著の『興禅護国論』の一節と、『喫茶養生記』のみである。 ただし『興禅護国論』にみえる茶は、宋風喫茶文 […]

  • 柳澤吉保を知る 第12回: 吉保の側室達―(三)4人の側室とその子女達(付)養女達―(宮川葉子)(その3)

    (承前) 第2部:養女達 吉保の養女を「門葉譜」に随い年齢順に並べると、土佐子、永子、悦子、幾子となる。   (一)土佐子 土佐子は折井正利女。黒田丹治直重室。宝暦8年(1758)11月25日卒。享年79歳。 武蔵国高麗郡加治郷(現在の飯能)武陽山能仁時に葬られた。 彼女は、吉保亡き後の柳 […]

  • 当梁年と内裏造営 ―『新皇居行幸年表』編集余滴2(詫間直樹)

    平安時代中期以降、内裏あるいは里内裏が相次いで焼亡するが、朝廷はその都度、再建の努力を重ねてきた。『新皇居行幸年表』では当然こうした事柄の年月日を掲出しているが、年表という性格上、なぜそのような造営経過をたどったのかなどの具体的な理由までは記していない。そこで、今回は特に内裏の立柱・上棟の時期に影響 […]