松坂屋古書部として大発展 【紙魚の昔がたり13】

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  • 松坂屋古書部として大発展 【紙魚の昔がたり13】

    (反町) 誰れもが金の一番ない時期でしたね。それというのは、二十一年の三月に、新円と旧円の切り替えでね。どんなにたくさん金を持っていても、一定限度以上は、政府は新円と取りかえてくれない。最高が五百円限度です。それで、あとは生活費を毎月いくらかずつ、家族の人数に応じて、新円を旧円と取換えてくれるだけ。 […]

  • 売る物なしのデパートで古書部開店 【紙魚の昔がたり12】

    (反町) 戦争の影響で用紙が極端に不足したから政府は消費を無理にも減らすために統合を強制した。紙は配給制ですから、数社が合併しなければ配給しないという指令を出したわけですね。  (八木) 東京へ出てきたが、神田のすずらん通り、東京堂のすぐ側にあった私の店は、留守を託した弟の福次郎が、田舎に帰る時に売 […]

  • 統制で「古書通信」廃刊 【紙魚の昔がたり11】

    (八木) 昭和二十一年の三月二十三日に博多着。二十四日に兵庫県明石の郷里に帰りました。ちょうどその頃は、農地解放といいまして、地主のもっていた田畠は、自作可能の分とある枠内の保有分だけを残して、その他の全部は、政府の命で耕作者に譲渡するように強制されました。私の応召する時に残して置いた金で、両親が田 […]

  • 召集で中支・南支・北支と転戦 【紙魚の昔がたり10】

    (八木) 太平洋戦争が、段々激しくなって昭和十九年の三月に召集されて、郷里に近い姫路の連隊に入る。もうこの頃は軍も資材が不足で、軍服が支給されない。私服のまま、朝鮮の平壌に送られました。検査の結果は乙種ですから、それまでに訓練は全然受けてない。平壌で教育を受けたんですが、教育が終わる頃に、四国の鯨部 […]

  • 公定価格問題で活躍 【紙魚の昔がたり9】

    (八木) そうこうするうちに、太平洋戦争が始まるわけですが、その前に、物資の不足から来る物価の急激な上昇を抑えるため、政府の指示で、あらゆる物に公定価格ができた。古本の価格も、その手でしばらなくちゃいけないということで、商工省から申し出があり、警視庁からも市場のことなどに干渉がありました。当時組合の […]

  • 難局打開の新方策 【紙魚の昔がたり8】

    (八木) その頃の本の好きな御大と言いますと、第一が徳富蘇峯先生。ここにお願いする。明治大学の先生方でも、ジャーナリズムの世界で重きをなしておられた尾佐竹猛さんのところに行きまして、原稿を頂きましたが、先生は忙しい人でしたから、書かれた本から適当な文章を抜かせて頂いて、掲載することも了解してもらいま […]

  • 組合が古書相場公開禁止 【紙魚の昔がたり7】

    (八木) 反町さんとか、文求堂さん、その他大勢の方が大変心配して下さって、いろいろ尽力応援して下さった。地方の同業からずいぶん沢山手紙や電話で激励して頂いたんですが、結局組合は、総会にもかけずに、決議一本で、公開を禁ずという断を下しちゃった。仕方ないから、東京の相場欄の部分は、相場だけを白紙にした号 […]

  • 明治大学入学、有力教授達を識る 【紙魚の昔がたり6】

    (郡田純一) 第一号は何年ですか。 (八木) 昭和九年ですね。一月二十五日号です。滑り出しよくやっているうちに、私自身商業学校しか出てないもんですから、編集や執筆に力が足りない。そこで明治大学の新聞学部に入りました。新聞学部は大学の卒業生じゃないと入れない学部なんです。実は佐々木さんといって反町さん […]

  • 『日本古書通信』の創刊 【紙魚の昔がたり5】

    (八木) 今だから言うんですが、実は日本古書通信社は、始めは反町さんと私と二人の協同出資でした。資金面でも応援をしてもらったわけです。私が六五〇円出し、反町さんから三五〇円出していただいて、一〇〇〇円の資本で始めたのです。通信の送り先として、全国の組合加入の古本屋の名簿と、沼津の古典社から出ていた古 […]

  • 「大阪古本通信」を譲り受ける 【紙魚の昔がたり4】

    (八木) 昭和七年頃から、大阪にプリント刷の『大阪古本通信』という相場ニュースの小誌が出来まして、そこで東京のニュースが欲しいという話で、これも反町さんのご紹介で、君、送ってやったらどうかということで送りました。他にも二、三人に頼んであったようですが、私が最も多かったでしょう。 (反町) 富樫栄治と […]