柳澤吉保を知る 第13回: 六義園(一)―初期六義園の誕生まで―(宮川葉子)

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  • 柳澤吉保を知る 第13回: 六義園(一)―初期六義園の誕生まで―(宮川葉子)

    はじめに 六義園は、文京区本駒込所在、国の特別名勝にも指定された都立公園である。 春には枝垂れ桜のライトアップが喧伝され、それを目指す来園者であふれる。 園の原型は、元禄15年(1702)10月21日、柳澤吉保の下屋敷(多く駒込の別墅〈べっしょ〉と呼ばれる)付属の、池泉回遊式庭園(池と周囲の園路を軸 […]

  • 『安保文書』拾遺(新井浩文)

    武蔵武士安保(あぼ)氏と安保文書 安保氏は、武蔵七党のうち丹党出身の武蔵武士で、埼玉県児玉郡安保郷(現神川町)を本拠とした。その安保氏に関する文書は、現在37点が埼玉県立文書館に、21点が横浜市立大学学術情報センターに所蔵されている。その内容は、鎌倉時代の文保2年(1318)の関東下知状~戦国時代の […]

  • 安保氏の故郷を訪ねて その1(編集者・M)

    今年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」である。各地で関連の展示や催し物が開かれて盛り上がり、物語も佳境に入ってきた。今春、10年越しでようやく史料纂集古文書編『安保文書』を刊行することが出来た。鎌倉時代の初めに、歴史に登場してくるのが安保氏の祖、実光である。『吾妻鏡』によれば、平家追討の際、源範頼の軍 […]

  • 平城宮の内裏と西宮 ―『新皇居行幸年表』編集余滴4(詫間直樹)

    奈良時代の皇居に関わる表記には、「内裏」のほかにも「中宮」(ちゅうぐう)、「中宮院」(ちゅうぐういん)、「西宮」(さいぐう)、「東宮」(とうぐう)などがあり、『新皇居行幸年表』の編集においては、これらの呼称を平城宮内のどこに比定すべきかという問題に直面した。このうち中宮・中宮院については平城宮の東区 […]

  • 別殿行幸について ―『新皇居行幸年表』編集余滴3(詫間直樹)

    別殿行幸とは 別殿行幸(べつでんぎょうこう)とは、天皇が方違えをする必要が生じた場合などにおいて、同じ皇居の区画の中で、清涼殿などの常御殿から別の殿舎に移御することをいう。通常は昼御座(ひのおまし)の御剣などを携えて夜中に吉方の殿舎に移り、一夜を明かして本殿に還御するものである。本来、行幸とは天皇が […]

  • 明恵と茶——やさしい茶の歴史(九)(橋本素子)

    明恵の茶に関わる一次史料 今回は、栄西と共に「茶祖」と言われ、「深瀬三本木」「駒の蹄影」といった複数の伝説に彩られている明恵(高弁)について見ていく。 まず今のところ、明恵において茶に関わる一次史料(同時代史料)は、二通の書状のみであることを確認しておきたい(以下意訳は筆者)。 鎌倉時代前期月未詳1 […]

  • 栄西と茶——やさしい茶の歴史(八)(橋本素子)

    栄西の入宋と茶 今回は、栄西と茶についてみていく。 実は、日本における「茶祖」と称される栄西ではあるが、茶に関わる史料は思うほど多くはない。『吾妻鏡』建保2年(1214)2月4日条の記事、あとは栄西自著の『興禅護国論』の一節と、『喫茶養生記』のみである。 ただし『興禅護国論』にみえる茶は、宋風喫茶文 […]

  • 柳澤吉保を知る 第12回: 吉保の側室達―(三)4人の側室とその子女達(付)養女達―(宮川葉子)(その3)

    (承前) 第2部:養女達 吉保の養女を「門葉譜」に随い年齢順に並べると、土佐子、永子、悦子、幾子となる。   (一)土佐子 土佐子は折井正利女。黒田丹治直重室。宝暦8年(1758)11月25日卒。享年79歳。 武蔵国高麗郡加治郷(現在の飯能)武陽山能仁時に葬られた。 彼女は、吉保亡き後の柳 […]

  • 当梁年と内裏造営 ―『新皇居行幸年表』編集余滴2(詫間直樹)

    平安時代中期以降、内裏あるいは里内裏が相次いで焼亡するが、朝廷はその都度、再建の努力を重ねてきた。『新皇居行幸年表』では当然こうした事柄の年月日を掲出しているが、年表という性格上、なぜそのような造営経過をたどったのかなどの具体的な理由までは記していない。そこで、今回は特に内裏の立柱・上棟の時期に影響 […]

  • 『瑞龍公実録』を読む(藤田英昭)

    記録の少ない江戸時代初期の重要史料のひとつ、徳川林政史研究所所蔵の「瑞龍公実録(ずいりゅうこうじつろく)」が初めて全文翻刻された。本書は、尾張徳川家2代当主徳川光友(寛永2年〔1625〕~元禄13年〔1700〕)の事績録で、書名は法諡に由来する。このたびの出版には「瑞龍院様御代奉書并御書付類之写」も […]