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柳澤吉保を知る
2023/01/10
柳澤吉保を知る 第14回: 六義園(二)―桂昌院の楽しんだプレ六義園―(宮川葉子)
はじめに 前田綱紀の上地(あげち、幕府没収地)拝領から丸8年。 元禄15年(1702)7月5日、吉保設計の駒込の別墅(べっしょ)の庭園は完成した。 和歌の浦を写し取り、筑山や泉水をふんだんに配置、野趣あふれるそれであった。 これを正式に六義園と呼ぶのは3箇月半後の10月21日。 この日、当地に赴いた […]
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やさしい茶の歴史
2022/12/1
明恵と茶 その二——やさしい茶の歴史(十)(橋本素子)
明恵の「駒の蹄影」伝説 前回の明恵の「深瀬三本木」伝説に引き続き、「駒の蹄影」(こまのあしかげ)伝説にも触れておこう。 まず「駒の蹄影」伝説の内容である。 ある日、宇治を訪れた明恵は、宇治の人々が茶実の蒔き方が分からず困っていたところに差し掛かった。そこで「栂山の尾の上の茶の木分け植ゑて あとぞ生ふ […]
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出版部
2022/10/6
安保氏の故郷を訪ねて その4〔最終回〕(編集者・M)
金鑚神社(多宝塔) 金鑚神社は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。式内社、武蔵国五宮(一説には、地名にあるように二宮とされる)。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社である。御獄山(標高343.4m)山麓に鎮座し、社殿の背後にある御室山(御室ヶ獄)を御神体として祀る。山を神体山とするため、 […]
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出版部
2022/10/4
安保氏の故郷を訪ねて その3(編集者・M)
大瀧山幸春院道雲寺 幸春院は元阿保の西、JR八高線に近い神川町関口にある曹洞宗の寺院である。本寺は、安保直(忠)実の開基と伝えられている。直実は、建武3年(1336)没、法名幸春院真応実道。 〔図1 幸春院 本堂〕 直実は、京都に住み、足利尊氏の侍所執事である高師直とともに行動していた。貞和4年(1 […]
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出版部
2022/09/27
安保氏の故郷を訪ねて その2(編集者・M)
阿保山吉祥院真光寺 その1で紹介したように、安保氏は埼玉県神川町元阿保に本拠を置いていた。その菩提寺は、東に約1kmほど離れた上里町大御堂にある吉祥院真光寺という古刹である。寺伝によれば、当寺は京都仁和寺の末、真言宗智山派で阿保山吉祥院と呼ばれ、大同元年(806)に武蔵介阿保人上が開基、沙門任覚を開 […]
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柳澤吉保を知る
2022/09/26
柳澤吉保を知る 第13回: 六義園(一)―初期六義園の誕生まで―(宮川葉子)
はじめに 六義園は、文京区本駒込所在、国の特別名勝にも指定された都立公園である。 春には枝垂れ桜のライトアップが喧伝され、それを目指す来園者であふれる。 園の原型は、元禄15年(1702)10月21日、柳澤吉保の下屋敷(多く駒込の別墅〈べっしょ〉と呼ばれる)付属の、池泉回遊式庭園(池と周囲の園路を軸 […]
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出版部
2022/09/8
『安保文書』拾遺(新井浩文)
武蔵武士安保(あぼ)氏と安保文書 安保氏は、武蔵七党のうち丹党出身の武蔵武士で、埼玉県児玉郡安保郷(現神川町)を本拠とした。その安保氏に関する文書は、現在37点が埼玉県立文書館に、21点が横浜市立大学学術情報センターに所蔵されている。その内容は、鎌倉時代の文保2年(1318)の関東下知状~戦国時代の […]
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出版部
2022/09/2
安保氏の故郷を訪ねて その1(編集者・M)
今年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」である。各地で関連の展示や催し物が開かれて盛り上がり、物語も佳境に入ってきた。今春、10年越しでようやく史料纂集古文書編『安保文書』を刊行することが出来た。鎌倉時代の初めに、歴史に登場してくるのが安保氏の祖、実光である。『吾妻鏡』によれば、平家追討の際、源範頼の軍 […]
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『新皇居行幸年表』編集余滴
2022/08/31
平城宮の内裏と西宮 ―『新皇居行幸年表』編集余滴4(詫間直樹)
奈良時代の皇居に関わる表記には、「内裏」のほかにも「中宮」(ちゅうぐう)、「中宮院」(ちゅうぐういん)、「西宮」(さいぐう)、「東宮」(とうぐう)などがあり、『新皇居行幸年表』の編集においては、これらの呼称を平城宮内のどこに比定すべきかという問題に直面した。このうち中宮・中宮院については平城宮の東区 […]
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『新皇居行幸年表』編集余滴
2022/08/1
別殿行幸について ―『新皇居行幸年表』編集余滴3(詫間直樹)
別殿行幸とは 別殿行幸(べつでんぎょうこう)とは、天皇が方違えをする必要が生じた場合などにおいて、同じ皇居の区画の中で、清涼殿などの常御殿から別の殿舎に移御することをいう。通常は昼御座(ひのおまし)の御剣などを携えて夜中に吉方の殿舎に移り、一夜を明かして本殿に還御するものである。本来、行幸とは天皇が […]