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出版部

安保氏の故郷を訪ねて その4〔最終回〕(編集者・M)

金鑚神社(多宝塔)

金鑚神社は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。式内社、武蔵国五宮(一説には、地名にあるように二宮とされる)。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社である。御獄山(標高343.4m)山麓に鎮座し、社殿の背後にある御室山(御室ヶ獄)を御神体として祀る。山を神体山とするため、本殿は設けられてはいない。『延喜式』に「金佐奈神社」と記載され、『日本三代実録』 には「金佐奈神」とあり、古くは「金佐奈神社」といった。

社名の「金鑚(かなさな)」は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている。神流川周辺では、刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており、御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある。文献では当社について「金佐奈」と見えるが、「かなすな」がこの「かなさな」に転訛したとされ、表記は「金鑽」のち「金鑚」と変遷して、近代以降は「かなさら」とも読むようになったとされる。

社伝よれば、日本武尊が東征の際に伊勢神宮にて叔母の倭姫命から授けられた草薙剣と火鑽金のうち、火鑽金を御室山に納め、天照大神と素戔嗚尊を祀ったのが創建であるという。

神社の境内入り口付近にある多宝塔は、天文3年(1534)に阿保郷丹荘の豪族・阿保弾正全隆(泰広)が寄進したもので(真柱に「天文三甲午八月晦日、大檀那安保弾正全隆」の墨書銘あり)、国の重要文化財に指定されている。塔の高さは、13.8m、相輪の高さが4mある。屋根は二重になっており、こけら葺きという方法で葺かれている。

〔図1 金鑚神社多宝塔①〕

〔図2 金鑚神社多宝塔②〕

〔図3 金鑚神社多宝塔③〕

〔図4 金鑚神社多宝塔 案内板(神川町)〕

〔図5 多宝塔真柱墨書銘(出典:『史料纂集 古文書編 安保文書』)〕

金鑚神社は、この地域の有力な神社であり、背後には御嶽城があった。この時期に安保氏が御嶽城を領有していたことがうかがわれる。以後この地域の国人領主とこの城は、上杉謙信、上杉憲政、北条氏康・氏政父子、武田信玄、古河公方足利氏らの勢力の間で翻弄され、永禄年間には小田原北条氏に従属することとなった。

御嶽城は、こののちも上野・武蔵の境目の城として永禄・元亀年間を通して激しい攻防戦が行われていった。

明治の神仏分離、廃仏毀釈まで(神仏習合時代)は、大光普照寺(金鑚山元三大師)が別当寺で、大光普照寺の奥の院が金鑚大明神であった。本来は寺の境内にある多宝塔が、神社内にあるのはその名残である。

〔図6 金鑚神社源氏橋と鳥居〕

〔図7 金鑚神社拝殿〕

〔図8 金鑚神社中門(背後が御室山)〕

 


『史料纂集古文書編 第52回配本 安保文書』
新井浩文・伊藤一美・井上 聡校訂
本体17,000円+税
初版発行:2022年5月25日
A5判・上製・函入・336頁
【収録年月】文保2年(1318)~永禄12年(1569)
【目次】口絵(14通掲載) 全94通+ 参考史料36通・花押一覧・関係系図・解題