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奈良絵本・絵巻の研究と収集(石川透)

奈良絵本・絵巻の研究と収集(78)ー長恨歌ー


 前回は、『年中行事歌合絵巻』という珍しい絵巻を取り上げたが、その本文の筆跡は乱行者と仮に名付けた者の筆跡であった。十七世紀に制作された絵巻は、絵も本文も豪華に仕立てられており、その本文は同じ絵巻であれば、一貫して同じ字の高さ、同じ間隔で記されている。同じ筆跡であれば、他の作品であっても同じ高さ、同じ間隔で記されていることが多いので、おそらくは、等間隔の棒や枠が記された下敷きのようなものを使用していたのであろう。

 ところが、前回取り上げた『年中行事歌合絵巻』は、特に紙が変わる直前に、行が詰まる現象が起こるのである。こればかりではなく、同筆の他の絵巻では、行の間隔が乱れる現象も起きている。下敷きのようなものを使っていても、それを乱していたのであろう。

 その乱行者が本文を書いた絵巻物は他にも多くあるようで、私の手元にもいくつかある。その一つが、異本『長恨歌』である。『長恨歌』は、唐代の白居易(白楽天)が作った著名な漢詩である。今では高校の教科書に採用されることは少なくなったであろうが、かつては、その一部は高校の国語の教科書に載っていたものである。残念ながら、教科書に載っていても、授業で取り扱うことは少なかった思うが、高校によっては、全文を暗記させるところもあったようだ。

 その漢詩文としての、『長恨歌』は、平安時代から著名で、日本に多くの影響を与えている。その訓読は古くから行われていたであろうが、江戸時代になると、注釈を加えた翻訳書に相当する作品が多く作られている。実は、絵巻や絵本の体裁を取る『長恨歌』の多くは、それらの注釈・翻訳の性格の強いものである。

 版本の『やうきひ物語』は、その文字が浅井了意の自筆版下の文字と一致することから、四十年ほど前に、古典文庫のシリーズに影印とともに翻刻もされた作品である。紹介された時点では、浅井了意の自筆版下の版本は、その内容も浅井了意が制作したと考えられていた。確かに、『やうきひ物語』も、その内容は了意自身が創作した可能性は大きいと思う。

 『日本古書通信』での連載の時にも記したが、浅井了意(?~一六九一年)は、本来僧侶の家に生まれ、仏書の翻訳・注釈書を数多く制作している。また、漢籍の翻訳も多く記しており、『やうきひ物語』を制作していてもおかしくはないのである。しかも、『長恨歌』の注釈書自体は古くから存在しており、言うならば、元々存在していた注釈を利用しながら『やうきひ物語』を制作した可能性もある。当時の創作は、既に存在していた物を利用しながら作ることが多く、今の感覚では、創作と言うより、改作に近い。だから、数多くの作品を量産できるのである。

 その浅井了意の自筆版下の版本『やうきひ物語』と同じく、浅井了意の筆跡で『長恨歌』を翻訳したと思われる絵巻が、サンクトペテルブルクにあるロシア古文書館蔵『長恨歌』断簡二枚である。絵巻の冒頭の本文しか残されていないので、今後その残りの部分が出現することを祈るばかりだが、その冒頭部分は、『やうきひ物語』と全く異なるのである。

 ということは、同じ浅井了意の筆跡であっても、その本文が異なっていることになる。これは大変な問題で、普通ならば、同じ筆跡が複数出てきたならば、同じ系統の本文を有しているものなのである。

 浅井了意の本文筆跡を有する絵巻の場合には、明らかに元々存在した作品を写しただけの作品、すなわち、筆耕として写した作品も多くあるのであるが、ほとんど伝本の無い作品や、浅井了意好みと思われる作品も存在している。『蓬莱山』『大黒舞』『咸陽宮』等は、版本における自筆版下の作品と同じように、浅井了意が創作・改作した絵巻である可能性が大きいと考えている。そのうちの『大黒舞』は、浅井了意の筆跡の絵巻が二つ存在しているのであるが、その本文系統は異なっているのである。『長恨歌』の場合は、本としての形が版本と絵巻という違いがあるので、少し事情は異なるが、同じ人物が書写しながら、二つの本の本文系統が異なっているのである。

 朝倉重賢のような筆耕専門と思われる人物の作品は、複数の絵巻が出てきても、その多くは本文の系統が同じなのである。ということは、浅井了意本人がただ写しているだけでは無く、改作を行っているのではないか、と疑われるのである。
 このように、浅井了意は、『長恨歌』の翻訳・注釈に何回か関わっていた、と推測しているが、現在残されている『長恨歌』と呼ばれる絵巻は、その本文が『やうきひ物語』と同じ系統の本文であることが多い。浅井了意が創作・改作したと思われる作品が、絵巻の世界に大きな影響を与えていることが分かる。ちなみに、この系統の本文を持つ浅井了意筆跡の絵巻は、今のところ出てきていない。

 ところで、話を乱行者の筆跡に戻すと、今回の写真に示した文字だけの作品が、乱行者筆『長恨歌』である。他の『長恨歌』絵巻の本文系統と異なるので、三十年近く前に翻刻・紹介したことがある。その時は、その筆跡をさほど意識していなかったのだが、あらためて見ると、『年中行事歌合絵巻』の本文と同筆であり、やはり、紙が変わる直前に行が詰まっている所がある。

 残念ながら、その本文の一部が一軸にされているだけで、絵は存在していない。前回記したように、この乱行者の筆跡を有する絵巻には、特徴があり、本文だけではなく、その絵も類似することが多いのである。おそらくは、城殿(きどの)や小泉といった京都の絵草紙屋とは別の組織で制作されていたのであろう。もちろん、系列は分かれると言っても、同じ江戸時代前期に制作されたものであろう。

 この乱行者の本文を有する絵巻が、今は某書店が所有する『長恨歌』三軸なのである。この絵巻は、二〇二四年一一月の古典籍展観大入札会に出品されており、その時は、たて続けに乱行者筆の絵巻を見ていたので、またかと思ってざっと見ただけで、系統を調べることはしていない。今回写真で紹介している異本『長恨歌』と同じ系統の本文なのか、興味深い。浅井了意の作品のように、同じ筆耕でも別の系統の作品なのかどうか、調べるべきことは多い。

 このように、絵本や絵巻化された『長恨歌』には、同じ筆跡で記された作品は他にもある。奈良絵本・絵巻の世界では最も多くの作品を残した筆耕朝倉重賢は、少なくとも三作品以上を写している。こちらも全ての作品を調査したわけではないのだが、朝倉重賢の場合は、同じ系統の本文が多いことが、他のいくつかの作品の調査によって分かっている。

 絵巻に較べると少ない数であるが、『長恨歌』は奈良絵本も制作されている。写真に掲載したのは、半紙縦型の作品である。安禄山が、玄宗皇帝・楊貴妃の前で産湯につかり、二人の子供であることを主張する、おもしろい場面である。


〔書き手〕

石川 透(いしかわ とおる)
1959年、栃木県足利市生まれ。
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
慶應義塾大学文学部名誉教授(国文学)。

〔主な著作〕

『慶應義塾大学図書館蔵 図解御伽草子】(慶應義塾大学出版会、2003年)
『奈良絵本・絵巻の生成』(三弥井書店、2003年)
『奈良絵本・絵巻の展開』(三弥井書店、2009年)
『入門 奈良絵本・絵巻』(思文閣出版、2010年)

〔八木書店 奈良絵本・絵巻 関連書籍〕



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