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奈良絵本・絵巻の研究と収集(石川透)

奈良絵本・絵巻の研究と収集(76)ー天稚彦草紙ー

2025年12月をもって終刊となりました『日本古書通信』にて連載されていた、石川透先生のコラム「奈良絵本・絵巻の研究と収集」を、今後はこちらで連載いたします。


 『天稚彦草紙』は、御伽草子の一作品として、『新潮日本古典集成・御伽草子集』(一九八〇年、新潮社)にも収録され、現代では容易に読むことができる。その内容は、『日本古書通信』二〇二五年二月号において取り上げた、『七夕』とほとんど同じである。

 『七夕』を取り上げたさいにも述べたが、『七夕』『七夕の本地』『天稚彦草紙』と名付けられた作品は数多くあり、御伽草子としては、長者物語系の話と公家物語系の話の二種類が存在し、さらにそれぞれがいくつもの本文系統に分かれているのである。

 したがって、題名だけではどちらのどの系統かが分からないという問題があるのであるが、今回は、昨年七月に手に入れた、長者物語の『天稚彦草紙』絵巻を取り上げたい。調べると、この絵巻の系統は、さらに複雑であった。

 最初に、この絵巻の絵を見ると、明らかに、サントリー美術館蔵『天稚彦草紙』と酷似している。たまたま、昨年の七~八月に行われていた「まだまだざわつく日本美術」展に展示されていたので、あらためて見ると、少なくとも絵画部分はそっくりである。このサントリー本は、展示や美術系の本にもよく取り上げられているので、御覧になった方も多いであろう。絵としては、天稚彦が姫と最初に対面するときに、大蛇の頭に乗って登場するシーンが印象に残る。その後の、天稚彦の父である鬼に難題を課され、それらを解く場面、さらには最後に天稚彦と姫が、天の川を挟んで、年に一度会うことになるという場面も、おもしろい絵である。

 そのサントリー本は、本物語の最古絵巻である、ベルリン東洋美術館が所蔵する『天稚彦草紙』とよく似ていることで知られている。ベルリン美術館本は、詞書を後花園天皇、絵を土佐広周が描いたされている絵巻で、十五世紀の優品とされている。ただし、現存は下巻のみであるため、上巻の絵が不明となっていた。サントリー本の下巻は、本文や絵がベルリン本とよく似ているので、ベルリン本の上巻の絵を補う絵巻としても注目されていたのである。

 ちなみに、本物語の本文については、下巻についてはベルリン本の本文が多く利用され、上巻については、ベルリン本の模本の写しである、東京国立博物館蔵の上巻(下巻欠)が利用され、前記松本隆信氏編の『御伽草子集』には、この二つの伝本が使用されている。本文のみの写しである東京国立博物館本のつれの下巻は、だいぶ以前に私が手に入れた本文のみの下巻の巻物に相当するということを、『天稚彦草紙』の研究者である大月千冬氏が報告してくれたときには驚いたものである。

 話を戻すと、今回の新収絵巻は、ベルリン本によく似たサントリー本と、少なくとも絵画部分はよく似ている。新収絵巻の絵は、サントリー本の絵と全図にわたってよく似ているのであるが、そこに、ベルリン本の下巻を入れて見てみると、新収本は、ベルリン本により近いことが分かるのである。例えば、姫が天上に向かうときに、さまざまな星々に天稚彦の居場所を尋ねる場面があるのだが、サントリー本は姫を一人しか描かないのに対して、新収絵巻は、それぞれの星に姫が描かれ、四人描かれている。言うなれば、異時同図の古い手法が使われているのであるが、ベルリン本も、四人が描かれているのである。となると、新収絵巻は、ベルリン本により近い絵を有していると考えられるのである。

 ところが、その本文を較べると、新収絵巻は、ベルリン本やサントリー本と全く異なる系統なのである。実は、サントリー本については、学芸員である上野友愛氏等の御協力を得て、展覧会後の九月に実物を新収絵巻と直接比較させていただいた。最初に巻子状のサントリー本を見て、太さが全く違うことに気付いたが、案の定、並べてみると、圧倒的に新収絵巻の方が本文が長く、簡単に対比できないほどであった。

 基本的には、ベルリン本やサントリー本の本文は、分量の少ない短文系の本文であるが、新収絵巻は、内容を詳しく記した長文系の本文であったのである。普通の絵巻物の世界では、絵が酷似していれば、本文もほぼ同じであるはずなのに、これはどういうことなのか。

 新収絵巻は、長文系であることが分かったが、その本文は、朝倉重賢の筆跡である。もちろん署名は無いが、典型的な重賢の筆跡であった。となると、以前『七夕』の項で記したように、絵草紙屋小泉の印記を有する絵巻群と同じ筆跡ということになる。この新収絵巻には小泉の印記は無いが、本文だけを見るならば、絵草紙屋小泉の『七夕(天稚彦草紙)』絵巻群とよく似ており、その内容が長文系であることも一致しているのである。

 この小泉の印記のある『七夕(天稚彦草紙)』絵巻群は、その本文は、全て朝倉重賢の筆跡であるが、絵の部分は、絵師が異なることが多いと思われるのである。小泉絵巻群の一つである、慶應義塾大学国文学研究室蔵絵巻は、小泉の印記はあるのだが、残念ながら,絵の多くが抜き取られており、完全な絵巻ではない。しかし、その残された絵は、サントリー本の絵と似たところがあり、あるいは、新収絵巻と近い絵巻であったのかもしれない。

 基本的には、長文系の内容には短文系に無い内容もあるので、その部分が絵に描かれることもある。その意味で、今回の新収絵巻は、絵は、サントリー本やベルリン本の絵とほとんど一致していることから、新収絵巻は、本文は、草紙屋小泉が制作した本文の系統であるのに、絵は、短文系の絵であることになる。このような『七夕(天稚彦草紙)』は、これまでのところ、見付かっていないようであるが、もしかすると、絵を多く取られている、慶應義塾大学国文学研究室本が近い存在かもしれない。

 絵巻物は、絵と本文は別々に制作されるであろうが、それらを取り仕切るのが、絵草紙屋であるから、同じ絵草紙屋が制作した作品は、絵にしろ本文にしろ、似た絵巻ができるはずである。絵草紙屋小泉の印記がある絵巻は、これまでのところ、『七夕(天稚彦草紙)』以外の作品も含めて、全て本文は朝倉重賢が執筆している。一方で、絵については、類似した絵もあるが、画風の異なる絵を有する絵巻も多いのである。

 ということは、本文を書くスピードが速いので、同じ人物に執筆の仕事を依頼し、絵の方は、作るのに時間がかかるために、複数の絵師、あるいは工房に制作を依頼したのであろうと考えているが、これは、確証があるわけではない。
 今回の新収絵巻は、本文から考えると、絵草紙屋小泉が制作したとも考えられる。そのさい、絵については、短文系絵巻によく使用される絵の制作を依頼し、その本文と絵を合体させてしまった、といったことが考えられるのである。

 実は、『七夕(天稚彦草紙)』における、短文系と長文系の呼び名として、『天稚彦草紙』と『七夕』に分けられるのではないか、ということを考えていたのであるが、今回の新収絵巻は、『天稚彦草紙』という題名でありながら、絵は確かに短文系の絵だが、本文は長文系となっている。より複雑な状況であり、名称での区別は簡単に決着はつかない。

 なお写真は、新収絵巻の大蛇に乗った天稚彦登場の場面と、姫が天上に昇る場面である。


〔書き手〕

石川 透(いしかわ とおる)
1959年、栃木県足利市生まれ。
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
慶應義塾大学文学部名誉教授(国文学)。

〔主な著作〕

『慶應義塾大学図書館蔵 図解御伽草子】(慶應義塾大学出版会、2003年)
『奈良絵本・絵巻の生成』(三弥井書店、2003年)
『奈良絵本・絵巻の展開』(三弥井書店、2009年)
『入門 奈良絵本・絵巻』(思文閣出版、2010年)

〔八木書店 奈良絵本・絵巻 関連書籍〕



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