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出版部

安保氏の故郷を訪ねて その3(編集者・M)

大瀧山幸春院道雲寺

幸春院は元阿保の西、JR八高線に近い神川町関口にある曹洞宗の寺院である。本寺は、安保直(忠)実の開基と伝えられている。直実は、建武3年(1336)没、法名幸春院真応実道。

〔図1 幸春院 本堂〕

直実は、京都に住み、足利尊氏の侍所執事である高師直とともに行動していた。貞和4年(1348)正月の四条畷の戦いや、観応2年(1351)正月の京都四条河原の合戦での活躍が伝えられている。『太平記』(巻二十九・将軍上洛事付阿保秋山河原軍事)には、四条河原の合戦の秋山光政との一騎打ちの際、「執事ノ御内」と直実が自らを師直の家中であると名乗りを上げる記述がみられる。

「安保文書」によれば、直実はこれらの戦功に対して尊氏から太刀を賜い(建武2年6月2日付足利尊氏袖判下文写)、師直が副状を発給している。

さて、本堂西側の境内には、高さ185cmの六地蔵塔が建っている。石燈籠の形をした石撞で、6面に1体ずつ地蔵菩薩の浮彫が見られるので六地蔵塔と呼ばれ、台座に「文亀3年(1503)癸年未卯月日 本願律師元栄」の銘文がある。

〔図2 六地蔵塔 ①〕

〔図3 六地蔵塔 ②〕

境内におられたご住職から、「史跡探訪 幸春院六地蔵塔」と題した印刷物をいただき、お話をうかがえた。

これによれば、六地蔵塔の中心部は、六地蔵の刻まれている火袋の部分と竿石の部分である。
竿石の中央部の穴に石輪をはめこみ、信者が念仏を唱えながら回転させることにより、願いが叶えられると伝えられているという。
この印刷物によれば、この塔とほとんど同じものが埼玉県にもう一基あり、それは秩父郡長瀞町の矢那瀬にあり、明応8年(1500)の銘文をもつものである。16世紀初頭、これらの塔を造立する風習が浸透してきたとみることができる、とも記されている。

〔図4 六地蔵塔案内板(神川町教育委員会〕〕

 


『史料纂集古文書編 第52回配本 安保文書』
新井浩文・伊藤一美・井上 聡校訂
本体17,000円+税
初版発行:2022年5月25日
A5判・上製・函入・336頁
【収録年月】文保2年(1318)~永禄12年(1569)
【目次】口絵(14通掲載) 全94通+ 参考史料36通・花押一覧・関係系図・解題