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出版部

『安保文書』拾遺(新井浩文)

武蔵武士安保(あぼ)氏と安保文書

安保氏は、武蔵七党のうち丹党出身の武蔵武士で、埼玉県児玉郡安保郷(現神川町)を本拠とした。その安保氏に関する文書は、現在37点が埼玉県立文書館に、21点が横浜市立大学学術情報センターに所蔵されている。その内容は、鎌倉時代の文保2年(1318)の関東下知状~戦国時代の北条氏康書状まで約250年に及ぶ稀有な文書群であり、関東の中世史に関する重要史料となっている。今回、刊行された史料纂集古文書編『安保文書』は、これらの文書群の翻刻と個人蔵の安保文書写本や系譜類、さらに安保氏が関係した大般若経奥書をはじめとする記録類も加え、巻末には関連論考を収めた言わば「安保文書」の総集編となっている。

「安保文書」の購入と埼玉県史編さん事業

昭和57年(1982)2月27日の新聞各社朝刊の埼玉版記事には、次のような見出しが躍った。「『安保文書』里帰り〔福岡で発見〕」(埼玉新聞)、「安保氏文書37点帰る〔県が購入 文書館の目玉に〕」(朝日新聞)、「中世武蔵武士の実態伝える『安保文書』1巻37点 県、購入し永久保存へ」(毎日新聞)。

これらの記事は、いずれも「安保文書」を埼玉県が福岡市の個人から直接購入したことを伝えている。このたび刊行された史料纂集古文書編『安保文書』では、埼玉県立文書館所蔵の「安保文書」37点を収録しているが、埼玉県立文書館所蔵となるまでの具体的な経緯についてはこれまで触れられてこなかった。そこで、かかる新聞記事を中心に補足しておきたい。

まずはその経緯について、埼玉新聞が詳細に紹介しているのでその一部を紹介する。
「今回発見された文書は一巻37点で、県は同文書を購入するため補正予算1,390万円を計上した。(中略)同文書の『安保文書』は明治22年に、東京大学で影写されたのを最後に行方が分からなくなった。ところが、昨年秋、県史編さん室が追跡調査をしているうちに、福岡県に住む会社役員の真(山+鼻)〔まはな〕正一さんが所持しているという情報が入り、埼玉大学名誉教授の小野文雄さんら専門家が昨年12月に現地に飛び『安保文書』であることを確認した。(中略)『安保文書』は全部で58点だが残り21点は現在、横浜市立大で所蔵している。」

この情報がもたらされるまで、「安保文書」は、明治以降行方不明となっていた後に、伊藤一美氏の著書『武蔵武士団の一様態―安保氏の研究―』(文献出版、1981年)の中で、福岡県在住の竹中寿氏が所蔵していたことが明らかにされていた。しかし、本記事にあるように埼玉県が購入した段階では、所蔵者が竹内氏から真(山+鼻)氏に所有が移っていたことが知られる。この点、此たび刊行された『史料纂集古文書編 安保文書』における伊藤氏の解題部分では、竹内氏のままとなっているので、この場をお借りしして訂正しておきたい。

この新聞報道当時は、昭和52年(1977)に開始された埼玉県史編さん事業のうち、中世資料編の刊行はまだ開始されたばかりで、「安保文書」が収録された『中世資料編5 中世1古文書1』が刊行される直前の記者発表であった(実際、この一か月後の3月27日に同書が発刊されている)。また、県では、翌年6月に県立文書館の新館オープンを控えており、その目玉としての購入意図もあったようである。

幸運が重なった「安保文書」

現在、中世文書をはじめとする古文書の流出が甚だしい。その理由は色々あるが、大きくは悉皆調査の未実施や、所有者の世代交代、そして収蔵機関におけるスペースの狭隘が挙げられる。現在と比べれば、埼玉県の所蔵となった「安保文書」37点は、編さん事業による調査によって所蔵先が判明、さらに所蔵者からの購入、そして新館が完成したばかりの県の文書館に収蔵保管されるという極めて幸運が重なった事例であったといえる。これも、ひとえに県史編さんや文書館に携わった関係者と東大史料編纂所はじめ多くの関係機関による情報供与、そして何よりも購入に際して理解を示された所蔵者の想いが結実した結果と言えるだろう。(なお、その時の所有者とのやりとりについてのエピソードが田代脩氏「『御老公』と私」『埼玉地方史』55、2005年に紹介されている。)それから40年の歳月が流れた。「安保文書」は埼玉県指定文化財として、いまなお県立文書館の一押し収蔵資料であることは言うまでもない。

今秋「安保文書」が一挙公開

その「安保文書」37点が、今秋、埼玉県立文書館の企画展で全点公開されることになった。また、嬉しいことに横浜市歴史博物館の企画展でも、現在、横浜市立大学学術情報センター所蔵の「安保文書」21点が全点公開されることになった。今秋は、埼玉と横浜でかつて一緒だった「安保文書」58点全点が公開されることになり、先に刊行をみた『史料纂集 古文書編 安保文書』に収録されている原文書を見学できるまたとない機会となる。是非とも、『本書』を利用される多くの方々に足をお運びいただければ幸いである。なお、埼玉・横浜の各企画展情報は下記URLを参照されたい。

【埼玉県立文書館】
企画展「坂東武者の生きざま~埼玉の中世文書~」
会期  令和4年9月17日(土)~11月20日(日)
https://monjo.spec.ed.jp/page_20220826014106

【横浜市歴史博物館】
企画展「追憶のサムライ~横浜・中世武士のイメージとリアル~」
会期  令和4年10月8日(土)~11月27日(日)
https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/tsuioku_no_samurai/


【執筆者】
新井浩文(あらい ひろぶみ)
1962年埼玉県生まれ。埼玉県立文書館主席学芸主幹
博士(歴史学、駒澤大学)
国立公文書館認証アーキビスト

〔主な著作・論文〕
新井浩文・伊藤一美・井上聡校訂 史料纂集古文書編『安保文書』(八木書店、2022年)
『関東の戦国期領主と流通』(岩田書院、2011年)
「地方文書館の役割と民間アーカイブズ―地方創生に向けた新たな取り組みを目指して―」(国文学研究資料館編『社会変容と民間アーカイブズ』勉誠出版、2017年)


『史料纂集古文書編 第52回配本 安保文書』
新井浩文・伊藤一美・井上 聡校訂
本体17,000円+税
初版発行:2022年5月25日
A5判・上製・函入・336頁
【収録年月】文保2年(1318)~永禄12年(1569)
【目次】口絵(14通掲載) 全94通+ 参考史料36通・花押一覧・関係系図・解題