柳澤吉保を知る 第10回: 柳澤家と甲斐国―3本の寿影(その二)常光寺本―(宮川葉子)

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  • 柳澤吉保を知る 第10回: 柳澤家と甲斐国―3本の寿影(その二)常光寺本―(宮川葉子)

    はじめに 柳澤吉保を知る第9回では、甲府市一蓮寺本吉保寿影を辿った。ここに言う寿影とは、吉保が元禄15年(1702)年に狩野常信に描かせ、翌16年8月26日に画賛を書き入れた3本の生前画像のことである(『楽只堂年録』第4、139頁)。 3本は各々、一蓮寺(甲府市)・常光寺(韮崎市)・永慶寺(大和郡山 […]

  • やさしい茶の歴史(三)(橋本素子)

    『江家次第』に見る「季御読経」の茶 今回は、平安時代、宮中における仏教行事である「季御読経(きのみどきょう)」において、引き茶として振る舞われた茶が、どのようにして飲まれていたのかを見ていく。 なお、儀礼は毎回判で押したように同じことを繰り返すとは限らない。むしろ、その時その時の事情で変わるものと捉 […]

  • 須恵器は何故受容され消滅したのか―須恵器の歴史をたどる―(渡辺一)

    須恵器とはいかなる焼き物か 須恵器(すえき)は日本で最初の焼き物です。縄文土器以来の野焼き(覆焼きがより正確)と違って、斜面に穴(ないし溝)を掘ってトンネル状にした窖窯(あながま)で焼かれてつくられた土器です。窯の形や大きさは時代ごとに違いますが、大きさはだいたい全長6~8m、地面からの深さは1~2 […]

  • やさしい茶の歴史(二)(橋本素子)

    日本最古の茶園・大内裏茶園 前回、弘仁6年(815)6月3日、嵯峨天皇は、畿内等で茶を植え、それを毎年献上するように命じたが、実際にそれが行われたかどうかわからないと書いた。また、永忠・最澄・空海ら入唐僧が、帰国後茶をどのように調達していたのかわからないとも書いた。 そのような中で唯一、嵯峨天皇の命 […]

  • 柳澤吉保を知る 第9回:柳澤家と甲斐国 ―3本の寿影(その一)一蓮寺本―(宮川葉子)

    はじめに 柳澤吉保を知るの第8回では、吉保主催の武田信玄133遠忌を中心に、吉保の信玄への思いを辿った。信玄生誕500年記念として甲州市の恵林寺で開催された講演会(2021年12月8日)の活字化である。 本稿はその拾遺にあたる。甲府市の一蓮寺に奉納された吉保寿影を手掛かりに、吉保の甲斐国での立ち位置 […]

  • やさしい茶の歴史(一)(橋本素子)

    喫茶文化史とは何か これまで、茶の歴史を扱う分野は、「茶道史」や農業史のなかの「茶業史」であった。特に茶道史では、千利休が「茶の湯」を大成するまでのひとすじの流れを描くものであった。しかし、その流れから外れる事柄は、「茶の湯」の通史に無理に引き付けて理解されたり、逆に全く評価されなかったりと、フラッ […]

  • 『上皇と法皇の歴史 仙洞年代記』の魅力(槇道雄)

    院政時代に限らず、歴代上皇・法皇の歴史や院政形態の全体像をわかりやすく解説した年代記を発刊。著者がその読みどころを紹介。 なぜ「天皇」の読み仮名は「てんこう」ではないのか? 今日、「天皇」を「てんこう」と読むことは通常ありえない。なぜならば、マスコミなどを通して、あらゆる機会に「天皇」は「てんのう」 […]

  • 柳澤吉保を知る 第8回:吉保の武田信玄への思い―吉保執行信玄133回忌を中心に―(宮川葉子)

    はじめに 柳澤吉保を知るの第7回では、吉保側室正親町町子を、公家文化を柳澤家にもたらした人物として探った。 今回は、残る4人の側室と子息・子女を扱う予定であったが、変更し、吉保執行の武田信玄133回忌を中心に、柳澤吉保・吉里の甲斐国経営を見ておく。 本年は信玄生誕500年。様々なイベントが開かれる中 […]

  • 柳澤吉保を知る 第7回:吉保の側室達―(二)正親町町子―その2―(宮川葉子)

    柳澤吉保を知るの第6回では、町子の実父は正親町公通、実母は水無瀬氏信女で大奥総取締に至った右衛門佐の局であることを検証した。当該第7回では、町子が吉保にもたらした堂上文化と2男児について見て行く。 吉保と北村季吟と古今伝受 ここで町子自身からはいささか遠ざかるが、町子を語るに避けて通れない古今伝受に […]

  • 柳澤吉保を知る 第6回:吉保の側室達―(二)正親町町子―その1―(宮川葉子)

    吉保の側室6人のうち、飯塚染子に次いで側室となったのが正親町町子である。 正親町公通 公通は承応2年(1653)、正親町実豊末子として、藤谷為賢女を母に誕生した。吉保より6歳年長である。 元禄6年(1693)武家伝奏(武家との連絡にあたる朝廷の要職)、同8年権大納言、正徳2年(1712)叙従一位。山 […]