年号と元号(中央大学教授・水上雅晴)

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  • 年号と元号(中央大学教授・水上雅晴)

    平成30年12月1日、200年ぶりの譲位による新天皇即位が5ヶ月後になされることが政府から発表されると、新元号に対する関心がにわかに高まった。崩御を伴わない改元のため、新旧さまざまの情報メディア上では、元号に関する解説や議論、新元号に関する予想が自由に、そして活発に展開された。有志による元号作成ツー […]

  • 岩崎文庫と和田維四郎氏【洒竹文庫及び和田維四郎氏2】

    村口 和田さんのお話をしましょう。久原文庫、岩崎文庫が出来る前に和田さんのお話をしないと連絡しません。雲村さんに御懇意を頂きましたのは、明治四十年頃と覚えております。 明治三十七年から四十年にかけて、私の店で貧弱な目録を四、五回出しました。その後の目録と覚えておりますが、書生さんが来て「左内坂の和田 […]

  • 洒竹文庫本の始末【洒竹文庫及び和田維四郎氏1】

    村口 実は震災で持っていた手びかえを焼きましたので、自分の記憶に止まっているところをポツポツやるのですから、あるいは月日等の相違、名前の相違等があるかも知れませんが、御不審があったら御質問下さい、もっとも御質問下すっても大概判らないかも知れませぬが(笑声)、今夕は大野洒竹文庫と、和田雲村文庫について […]

  • 村口書房初代主人 村口半次郎氏【洒竹文庫及び和田維四郎氏0】

    数多くの貴重な古典籍を扱った村口書房。その店主が語る稀有な証言。 本コラムでは、村口半次郎「洒竹文庫及び和田維四郎氏」(『紙魚の昔がたり』明治・大正編)を16回にわたって全文掲載いたします。それに続いて、村口四郎「諸名家の宝庫を渉猟する」(『紙魚の昔がたり』昭和編)も掲載いたします。ご期待下さい。 […]

  • 奈良絵本の美 【反町茂雄「奈良絵本私考」8】

    奈良絵本の美は、奈良絵の美と、文字の美と、料紙、特に下絵の美と、装潢の美とに分けられるでしょう。しかし、主体は奈良絵で、これに次ぐものは料紙・下絵であります。書と装潢とは、特筆すべき程の重さを持つものではないと愚考しております。   私は美学について、又美術史についても、多く語る資格を持た […]

  • 奥書と商品化と 【反町茂雄「奈良絵本私考」7】

    今日まで見ることを得た、恐らく1000にも近いものの内、ハッキリと年記のある最古のものは、文正元年(1466)の八幡の御本地絵1巻(弘文荘古書目第16号157参照)であります。大型の巻物、巻首3、4葉を欠いていますが、現存紙数34枚半の長巻。巻末に、左の奥書があります。 「奉寄附大日本国周防国吉敷郡 […]

  • 奈良絵本とは? 【反町茂雄「奈良絵本私考」6】

    奈良絵の、又は奈良絵を挿入した本と規定してよいでしょう。本とは書籍・書物の意味で、冊子と、冊子の古い形態である巻物と、両方を包含しております。奈良絵本を冊子にのみ限定しようとする論は、本(即ち書物)は、冊子・巻子を包含した汎称であることの否定に通じ易く、いささか無理の様に感じられます。或は中世小説に […]

  • 需要層の問題 【反町茂雄「奈良絵本私考」5】

    需要者がどの層だったかということは、直ちに商品の質と量に反映致します。上代及び中世前半の絵巻物とは違って、奈良絵本は、最初から大部分は商品として生産されたと考えられます。従ってここでは、誰が買ったか、という問題になります。 1)前期 前期において。先ず公家階級ではありません。これはハッキリ断定してよ […]

  • つくった人、描いた人たち  【反町茂雄「奈良絵本私考」4】

    1)前期(寛永以前) 少々武断的ですが、結論を先に記しますと、前期(寛永以前)においては、生産者は主として京都及び堺の扇屋、後期(寛永以後)では、生産者は主として京都の新興の書籍業者(出版・販売、及び一部分古書を兼業)だったのでしょう。 執筆したのは、前期には土佐派を学んだ画師、画扇描きの技工(職人 […]

  • 京と堺でも 【反町茂雄「奈良絵本私考」3】

    京都は8世紀末以来、当時までに700年近く文化の中心地でした。文学・美術。工芸に関するすべての文化財の、殆ど唯一と云ってもよい生産拠点であります。文字を書き絵を描く画家・工人は多く、巻物に或は冊子に装潢する経師も多い。全国の需要も、ここに向けられることは自然でしょう。 戦乱の時代においても、ここと全 […]