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村口書房

野村素介氏とその蔵書【洒竹文庫及び和田維四郎氏4】

村口 その次と申しますと、年代不順ですが野村素介(26)さんの蔵書、この品物と申しましたら、それはそれは珍本中の珍本揃いなのです。

誠に結構の逸品ばかりでした、これは私は商売を始めましてから恐らく買い始めの買い終(しま)いであろうと思う。これだけの本を持っている人がまたあろうとも思いません。恐らくありますまい。そのように思いますから、買い終いといえるのです、全くの蔵書家でしたな。

井上 昨晩、斎藤さんからも少しそのお話を聞いたのです。

村口 野村さんという人は今まで自分の家で椀伏せ(27)をして大変売っている。自分で札を取るんですから斎藤・磯部(28)・浅倉屋さん、この三人位しか呼ばない。ザクというものは全部売って、後に残ったものが八十部の名品ばかりで、これは野村さんが自筆の「養素軒蔵儲志」という目録をつくっておられたものです。

その頃和田さんが正平版の「論語」が欲しくてたまらないが、どこを探してもなかったもの。磯部の家で寺田望南さんが、野村さんが三部揃って持っているが売るかな、という話をしましたのをきいたので、私は磯部にとにかくやって見てくれと頼んだので、磯部が野村さんへ行ってお願いした。

ところが「論語」だけでは売らぬ、「蔵儲志」にのせたもの全部なら売る、というのでガッカリして帰って来ました。

私はこの話を聞きまして、それは結構だ、拝見に行こう、と申しまして行って見た。実に一つもソツはない。その当時の金額で四万円であるが風呂敷に一つ半しかない。八十部しかなく大部分一冊物でしたが価格も高い、概略申し上げますと、延慶元年の「平家物語(29)」、これは今、日本には絶対にない、この写しを松井簡治先生が持っておられますが、ほかに「論語」正平版三部(30)、「論語」古鈔本が五部、保元の乱の悪左府頼長(31)手抄の「中庸」巻子本、文覚の平家追討血書の経巻、和銅経、その他古写本類で、一本としてソツのあるものはなかった。恐らく両文庫ではこの野村文庫が一等である。

これにも珍談があります。

(つづく)


※氏名略称
村口・・・・・・村口書店 村口半次郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏
窪川・・・・・・窪川書店 窪川精治氏
光明堂・・・・・・光明堂書店 鹿島元吉氏
東・・・・・・東書店 東浅吉氏
一心堂・・・・・・一心堂書店 高林定輔氏


(26) 野村素介 長州出身の高級官僚、後に男爵。書家、また集書家。号は素軒。
(27) 椀伏せ 入札方法の一。お椀の蓋の様な形の器具の内側に入札価を記して、開札者へ向けて投げ、価格の最高の者に落札。
(28) 磯部 麹町の有力古書肆磯部屋太郎兵衛の後嗣、養子亀吉。
(29) 延慶元年の「平家物語」 元年は誤り。延慶二年書写本を応永二十六、七年に写したもの、冊数は十二冊。いま大東急記念文庫蔵。
(30) 「論語」正平版三部 正平十九年堺で版行の「論語」。双跋本・単跋本・無跋本の三種あり。
(31) 悪左府頼長 左大臣藤原頼長、平安末期の政治家。保元の乱の主役の一人、敗れて死す。学を好んで蒐書に努めた。


著者

村口半次郎
村口書房(東京市神田区今川小路二丁目十七〔旧地名〕)初代主人

下谷御徒町の、有名な浮世絵版画商吉金(吉田金兵衛)方で修業。吉金は版画と共に古書を販売したが、村口さんは古典籍を主とし、中年以後は浮世絵は殆ど扱わないようでした。明治三十年頃から活躍し、四十年頃から大正九年まで、大蒐書家和田維四郎の特別の受顧を受け、そのおかげで、古典籍についての知識を広くすると同時に、業界に雄飛するに十分な資財を獲得。大正末期から昭和十年頃までが全盛期でした。古典籍業界では、東西を通じて第一の実力者として、また書林定市会(後の東京古典会)の顧問(という名の会長)として、勢威を振るいました。昭和十五年一月歿。六十五歳。


※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)でお読みいただけます。

          

『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)  関連書・『紙魚の昔がたり』(昭和篇)