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洒竹文庫及び和田維四郎氏

小野蘭山の稿本【洒竹文庫及び和田維四郎氏6】

村口 小野蘭山蔵書で滑稽なことがあったというのは、井上君が谷田とかいう人を見にやった、なかなかよいもので向うも高張っていたが、その時に付けた価格が七千円。

それ切りにして置けばよいのに、和田さんに私が御注進をした。「小野蘭山のいい物がございます」「どの位か」「一万五千円以上でございましょう」(笑声)と言った。「それはいいから買う方がよいね」「早速手を着けますから」と言って帰ると、大体小野の家人が怪しからん、こっちで七千円に付けたのを踏み台にして一万円で売りたいと思って、小野の子孫が上田万年さんの御弟子だったから、直接上田さんに頼みに行ったのです。

だから上田さんが和田さんに頼みに行って決めてやろうというので、薬王寺の和田さんの家へ来られた。「小野蘭山の口を売りたいというのがあるが」「そんな話は聞いたが幾らか」「一万円」、という。上田さんが帰ると、私の家へ電話ですぐ来いという騒ぎ。

早速伺うと「貴様は一万五千円と言ったが、上田万年さんが一万円でいいと言った」と、これなんです。(笑声)「それでは中にはいった同業者達が下駄をはこうとしたのでしょう」と苦しい言いわけをすると、「とにかく品物を取りに行って来い」というので水谷倉吉と共に行って一万円払って品物を漸く持って来たが、結局一銭も貰わないで三月かかって一万円の現金を払ってそのままで納めた。全くダラシのない事を致しました、品物は上等でも遣り方が悪かったからです。

井上 「植物学雑誌」に小野蘭山号というのがありまして、その時の蘭山の口の品物は大体載っておりますから、この次の時にお目にかけます、うちにありますから。

窪川 小野さんというのはどういう人ですか。

村口 植物学者で偉い人です。

窪川 それは今どっちへ入っています。

村口 先程も申した通り、全部岩崎さんへ入っております。只今私が一銭も儲けないと申しましたが、後でこのような話があるのです、それは和田さんが岩崎さんへ電話をかけて「村口は一万円の品を納めるのに三月も掛かり、そして全く元値なのだから、礼をやらなければならぬ」と言った。

そこであすこの家令が恭々しく、こんな大きな紙へ包んで持って来たのが三十円。(笑声)一万円で三十円儲けたのは、私としては実際に初めてであります。

(つづく)


※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口半次郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏
〇聴講者
青木・・・・・・青木書店 青木正美氏
東・・・・・・東書店 東浅吉氏
大雲・・・・・・大雲堂書店 大雲英二氏
市川・・・・・・市川書店 市川円応氏
太田・・・・・・井上支店 太田保雄氏
鹿島・・・・・・光明堂書店 鹿島元吉氏
窪川・・・・・・窪川書店 窪川精治氏
小林・・・・・・小林書店 小林静生氏
小宮山・・・・・・小宮山書店 小宮山慶一氏
酒井・・・・・・十字屋書店 酒井嘉七氏
佐藤・・・・・・崇文荘書店 佐藤毅氏
諏訪・・・・・・悠久堂書店 諏訪久作氏
高林(定)・・・・・・一心堂書店 高林定輔氏
高林(末)・・・・・・東陽堂書店 高林末吉氏
西塚・・・・・・巖南堂書店 西塚定一氏
松村・・・・・・松村書店 松村竜一氏
八木(荘)・・・・・・八木書店 八木壮一氏
八木(敏)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(正)・・・・・・安土堂書店 八木正自氏
山田・・・・・・山田書店 山田朝一氏
吉田・・・・・・浅倉屋書店 吉田直吉(後の11代目吉田久兵衛)氏

著者

村口半次郎
村口書房(東京市神田区今川小路二丁目十七〔旧地名〕)初代主人

下谷御徒町の、有名な浮世絵版画商吉金(吉田金兵衛)方で修業。吉金は版画と共に古書を販売したが、村口さんは古典籍を主とし、中年以後は浮世絵は殆ど扱わないようでした。明治三十年頃から活躍し、四十年頃から大正九年まで、大蒐書家和田維四郎の特別の受顧を受け、そのおかげで、古典籍についての知識を広くすると同時に、業界に雄飛するに十分な資財を獲得。大正末期から昭和十年頃までが全盛期でした。古典籍業界では、東西を通じて第一の実力者として、また書林定市会(後の東京古典会)の顧問(という名の会長)として、勢威を振るいました。昭和十五年一月歿。六十五歳。


※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)でお読みいただけます。

          

『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)  関連書・『紙魚の昔がたり』(昭和篇)