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洒竹文庫及び和田維四郎氏

江戸物の上等品三百種【洒竹文庫及び和田維四郎氏5】

村口 野村氏は、君にいろいろ世話になったから、これだけの本を君にやると言う、そのくれるという本は江戸物の最上品三百種である。野村さんは反古同様に思っておったらしい。

それを見るとさすがに野村さんの蔵書ですな、結構な品物が相当にありましたから、有難く(笑声)頂戴して戻ったが私のものではない。磯部屋亀吉との連合物である。それを市へ出すという話であったが、磯部は、「市で入札では私はみな取られてしまう」と言う。「それでは一括入札にしよう」と言うと「それならば僕に授かるように」と先生も納得した。

入札する時に私は考えた、幾らに入れたらよいか判らない、こっちが本家で磯部は御使番なので、その利益で親父の葬式まで出すようにしてやったのだから、磯部のこったから極く安く書いて、もし取られたら利付けをすればキットあいつ、……。(笑声)

反町 アッハハ、村口さんにはかなわないな。

村口 そこで三千円か四千円に踏めるものを、七百円と入札をした。もし取られたら利付けの奥の手でやろうと腹をきめた。磯部は算盤を取ってパチパチやっておったが、永い、なかなかきまらぬ。

安く買おうというのでしょうが、私も内心びくびくしておりまして、いざ両方を開けて見ると、私は七百円、先生は二百円しか書いてない。いやはや私はあまり安いのでかえってびっくり致しました。これ等は私にとりましては、珍談中の珍談でした。

そうしますと野村さんが人を介して「ウッカリあれをやったが、江戸物は当今なかなか高いものである、(笑声)幾らか金をよこせ」という話、私はそこで「あなたも野村さんという立派な方で、『やろう』『貰おう』と男が約束して、私は縦(よ)しそれが鉛だっても苦情は申し込まない。あれが高いからといって今更文句をいうのは、あなたの御人格に係わる」と突っ撥ねてしまったので、それっきり憤って来ない。

とにかく野村さんからの買物では、この品が唯一の口でございました。私は自分としてこのような大口はモー買えないと思いますから、お集まりの皆さんから一つさがして戴きたいものですな。

大雲 今それがどこに入っておりましょう。

村口 この品物はその後和田さんは両方へ義理を立てて、自身で是非ほしいと思われたものだけ少し取って、後を二つに分けて、久原文庫と岩崎文庫へという具合に計られたものですから、結局二つに分かれてしまいました。

最優等品は和田さんがお取りになったから、結局は岩崎へ余計入ったということになる。木村正辞(32)先生の蔵書は、確か二万円でございまして、これにもなかなか優秀品がございましたが、惜しいことに全く岩崎家と久原家との両方へ割れてしまった。稲田福堂(33)の口が二万円、小野蘭山(34)の口が……これには珍談がある。珍談というよりも、情けない珍談であります。

井上 その話では村口さん、面白いお話がございましたな。

十字屋 野村さんは何をやっていた人ですかね。

村口 野村素介、素軒といって貴族院議員です。

(つづく)


※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口半次郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏
〇聴講者
青木・・・・・・青木書店 青木正美氏
東・・・・・・東書店 東浅吉氏
大雲・・・・・・大雲堂書店 大雲英二氏
市川・・・・・・市川書店 市川円応氏
太田・・・・・・井上支店 太田保雄氏
鹿島・・・・・・光明堂書店 鹿島元吉氏
窪川・・・・・・窪川書店 窪川精治氏
小林・・・・・・小林書店 小林静生氏
小宮山・・・・・・小宮山書店 小宮山慶一氏
酒井・・・・・・十字屋書店 酒井嘉七氏
佐藤・・・・・・崇文荘書店 佐藤毅氏
諏訪・・・・・・悠久堂書店 諏訪久作氏
高林(定)・・・・・・一心堂書店 高林定輔氏
高林(末)・・・・・・東陽堂書店 高林末吉氏
西塚・・・・・・巖南堂書店 西塚定一氏
松村・・・・・・松村書店 松村竜一氏
八木(荘)・・・・・・八木書店 八木壮一氏
八木(敏)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(正)・・・・・・安土堂書店 八木正自氏
山田・・・・・・山田書店 山田朝一氏
吉田・・・・・・浅倉屋書店 吉田直吉(後の11代目吉田久兵衛)氏


(32) 木村正辞(まさこと) 明治中期の国学者、文学博士、東京帝国大学教授。
(33) 稲田福堂 前出。第四話注(86)参照。
(34) 小野蘭山 京都の本草学者。江戸時代を通じて最高の植物学者の一人。


著者

村口半次郎
村口書房(東京市神田区今川小路二丁目十七〔旧地名〕)初代主人

下谷御徒町の、有名な浮世絵版画商吉金(吉田金兵衛)方で修業。吉金は版画と共に古書を販売したが、村口さんは古典籍を主とし、中年以後は浮世絵は殆ど扱わないようでした。明治三十年頃から活躍し、四十年頃から大正九年まで、大蒐書家和田維四郎の特別の受顧を受け、そのおかげで、古典籍についての知識を広くすると同時に、業界に雄飛するに十分な資財を獲得。大正末期から昭和十年頃までが全盛期でした。古典籍業界では、東西を通じて第一の実力者として、また書林定市会(後の東京古典会)の顧問(という名の会長)として、勢威を振るいました。昭和十五年一月歿。六十五歳。


※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)でお読みいただけます。

          

『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)  関連書・『紙魚の昔がたり』(昭和篇)