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村口書房

南陽堂の宋版「文選」【洒竹文庫及び和田維四郎氏7】

村口 それから楠林君(35)の家に宋版の「文選」があった。これを称して三万五千円といっていた。

話は聞いていたが、恐れをなして行きもしませんでしたが、京都の内藤湖南さんが見えて、楠林へ行って見て来られて、鉱山懇話会に和田さんをたずねられまして「楠林の家に宋版のいい『文選』があるが、村口がどうして見逃しているか」「そうですか」というので、電話で私に「楠林に宋版の『文選』があるのに、なぜ手を着けない」「あるのは知っておりますが、何しろ三万五千円というので手が着けられませぬ」「他が手を着けないのを貴様が値切って相場で納めるのが当り前じゃないか」。値切って相場で納めろと言う、(笑声) 仕方がないから出かけました。

私は今でも楠林君を恩に思っているが、三万五千円といっているものを「君ならば君の言い値で売る、いくらでもよい」と言うので弱ってしまった。「それじゃ私にお任せ下さるか」「幾らで売っても苦情を言わない」「それじゃ電話をかけたら本を持って来てくれ」という話になったので、引き返して「先ず八千円だろう」と値を切った。

「それじゃ、それで買おう」と話が進行して来たので、楠林へ電話をかけて「本と受取書と判を持って来てくれ」、そこで楠林君の養子の亀さんが持って来た。「八千円の受取書を書いて金を貰って行け」と言って私は傍観してしまった。楠林君は一万円を切れるとは思わなかったが、幾らでも君に任せるといったのですから、なんの文句なしにその値で売り渡してくれました、この値でもその頃では大して安いものではない。今、岩崎にありますが……。

西塚 それは何冊物ですか。

村口 三十冊ですが、楠林君もこの「文選」はどこからか掘り出された品物であると聞いております。次に永田有翠(36)の蔵書を二万円程に買い、水谷不倒(37)さんのを数回に三万円で買いました。

反町 有翠さんのは入札したもののほかですか。

村口 入札する以前に、鹿田(38)がコソリコソリといいものを引っ提げて来て、私の処へ入れました。京阪で本を余計売りましたのは細川(39)・佐々木(40)・鹿田ですが、感心に必ず私の手を通さなければ文庫へ入れない。必ずまた原価を切って来るが、原価といっても大体大阪の人ですからあぶないが、原価はこれこれだといって持って来た。

(つづく)


※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口半次郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏
〇聴講者
青木・・・・・・青木書店 青木正美氏
東・・・・・・東書店 東浅吉氏
大雲・・・・・・大雲堂書店 大雲英二氏
市川・・・・・・市川書店 市川円応氏
太田・・・・・・井上支店 太田保雄氏
鹿島・・・・・・光明堂書店 鹿島元吉氏
窪川・・・・・・窪川書店 窪川精治氏
小林・・・・・・小林書店 小林静生氏
小宮山・・・・・・小宮山書店 小宮山慶一氏
酒井・・・・・・十字屋書店 酒井嘉七氏
佐藤・・・・・・崇文荘書店 佐藤毅氏
諏訪・・・・・・悠久堂書店 諏訪久作氏
高林(定)・・・・・・一心堂書店 高林定輔氏
高林(末)・・・・・・東陽堂書店 高林末吉氏
西塚・・・・・・巖南堂書店 西塚定一氏
松村・・・・・・松村書店 松村竜一氏
八木(荘)・・・・・・八木書店 八木壮一氏
八木(敏)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(正)・・・・・・安土堂書店 八木正自氏
山田・・・・・・山田書店 山田朝一氏
吉田・・・・・・浅倉屋書店 吉田直吉(後の11代目吉田久兵衛)氏


(35) 楠林君 東京小石川水道橋の南陽堂主人、楠林安三郎。第十話の人。
(36) 永田有翠 大阪の著名な蔵書家。江戸文学関係書多し。
(37) 水谷不倒 早稲田大学関係の江戸文学研究家。「古版小説挿画史」その他、著書が多い。また蒐集家としても知られる。
(38) 鹿田 明治大正時代を通じて大阪第一の古書肆。屋号は松雲堂。
(39) 細川 京都の有力な古書肆、細川開益堂。
(40) 佐々木 明治大正時代京都第一の古書肆、竹苞(ほう)楼佐々木惣四郎。


著者

村口半次郎
村口書房(東京市神田区今川小路二丁目十七〔旧地名〕)初代主人

下谷御徒町の、有名な浮世絵版画商吉金(吉田金兵衛)方で修業。吉金は版画と共に古書を販売したが、村口さんは古典籍を主とし、中年以後は浮世絵は殆ど扱わないようでした。明治三十年頃から活躍し、四十年頃から大正九年まで、大蒐書家和田維四郎の特別の受顧を受け、そのおかげで、古典籍についての知識を広くすると同時に、業界に雄飛するに十分な資財を獲得。大正末期から昭和十年頃までが全盛期でした。古典籍業界では、東西を通じて第一の実力者として、また書林定市会(後の東京古典会)の顧問(という名の会長)として、勢威を振るいました。昭和十五年一月歿。六十五歳。


※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)でお読みいただけます。

          

『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)  関連書・『紙魚の昔がたり』(昭和篇)