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出版部

日本と高麗の関係を探る旅と出会い(開成中学校・高等学校教諭 近藤 剛)

「こんな幸運に巡り合うことがあるなんて!」

九州国立博物館の収蔵庫内で、私は興奮を抑えきれずにいた。2017年に当館の所蔵となった鎌倉時代のものと考えられる古筆切「嘉禄三年高麗国牒状写断簡及按文」(以下「高麗国牒状写断簡」と称す)の冒頭一行目に衝撃を受け、次行以降に広がる未知の文言に目を奪われてしまったのである。現物の写真は、この度刊行する『日本高麗関係史』のカバーにカラー写真で掲載し(左図)、本文中にモノクロ写真で掲載している。

卒業論文以来、日本と高麗(918~1392)の交流の歴史に関心を持って勉強を進めている。研究をはじめた当初は半世紀以上前の論文が基本文献として挙げられているほど研究が停滞しており、同時代の日宋貿易の陰に完全に隠れていた。特にモンゴル襲来以前については、高麗王朝が日本史の時代区分でいう古代史と中世史をまたぐこともあり、研究に断絶があった。両国の間で国交も成立していなかったため、史料的な制約も大きく、あまり注目されることがなかった。

しかし、学部生の頃に開催された日韓共催の2002年FIFAワールドカップや、それに続く韓流ブームを目の当たりにし、これほど近い距離にある両国の間で、国交がなかったとはいえ交流もなかったということはないだろうとの思いから、前近代日本対外関係史研究者の石井正敏先生に師事し、研究を進めていった。

博士課程在学中には韓国の高麗大学校に1年間留学し、「韓日関係史学会」で報告する機会に恵まれた。この時に史料との格闘を経て気が付いたのが、嘉禄3年(1227)に、倭寇の禁圧を求めて来日した高麗使が「日本国惣官大宰府宛高麗国全羅州道按察使牒状」(『吾妻鏡』吉川本所収。以下「按察使牒状」と称す)をもたらし、大宰府との間で交渉が行われた際に、従来は1度と考えられていた高麗使節の来航が、実は2度行われ、日本側と交渉したということであった。これらをまとめ、2008年に処女論文「嘉禄・安貞期(高麗高宗代)の日本・高麗交渉について」(『朝鮮学報』207)を発表した(本書『日本高麗関係史』第2部第四章に収録)。

その後は、韓国留学の成果を生かし、日本史料に残されている高麗牒状を中心に分析を加え、高麗古文書の署名様式や官職史をはじめ、高麗の対日本外交管理体制といった、高麗史そのものの理解を深めていった(本書第1部に収録)。

さらにこれらの成果を利用して、再び日麗関係史料を精読し、これまでほとんど研究がされてこなかった12~13世紀前半の日本高麗関係についての論文を執筆し、本書『日本高麗関係史』刊行の話が立ち上がろうとしていた矢先に、冒頭の史料に出会ったのである。

「高麗国牒状写断簡」には、「按察使牒状」の最終行に記された差出と酷似する文言が1行目にあり、2行目には「これは高麗国より日本に渡る牒使の状なり」と記されている。そして既存史料では全くの空白であった嘉禄3年2月から5月までの高麗使節の動向が、生き生きと記されているのである。文書の解読には、高麗史そのものの研究を深めてきたことで理解ができた箇所もあった。もちろん最初の論文で検討した両国交渉の内容をさらに深めることもできた。新史料の発見などほとんど期待できない古代~中世前期を研究する者として、もう二度とないであろう幸運に恵まれたと思っている。

この内容は本書第2部第三章に「嘉禄三年来日の高麗使について」として配置しているが、このタイトルは、高麗三別抄が日本に対して請援したことを記した新発見史料を紹介し、国際的な反響を呼んだ恩師石井正敏先生の論文「文永八年来日の高麗使について」(『東京大学史料編纂所報』12、1978年。のち『高麗・宋元と日本(石井正敏著作集3)』勉誠出版、2017年に収録)を意識して付けたものである。「高麗国牒状写断簡」の史料的価値は正にこれから議論されることになるが、これまで過ごしてきた研究生活、そして培ってきた研究成果をぶつけて史料に挑むことができ、それを本書に盛り込むことができたのは、私自身にとって大変意義あるものとなった。

幽明境を異にする先生は、本書をどのように見てくださるだろうか。先生からの質問に答えられるよう、さらに調べを進めることにしたい。

なおこの度刊行する『日本高麗関係史』に収録する序章、および索引のPDFファイルをweb上で読めるようにした。索引をPDFでかかげるのは、Web検索等でより多くの人に本書を知ってもらいたいとの思いからである。また日本語・ハングルで併記した本書の要旨も公開している。以下のリンクから見ることができるので、ぜひともご覧いただきたい。
■序章、および索引(PDFファイル)
https://catalogue.books-yagi.co.jp/files/pdf/d9784840622332.pdf

■要旨【日本語・ハングル】(コラムページ)
https://company.books-yagi.co.jp/archives/5983


近藤 剛(こんどうつよし)
1980年東京都生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。この間に大韓民国高麗大学校への交換留学を行う。中央大学附属中学校・高等学校非常勤講師、中央大学文学部兼任講師、中央大学人文科学研究所客員研究員を経て、現在、開成中学校・高等学校社会科(地歴公民科)教諭。

〔主な著作〕
『日本高麗関係史』(八木書店、2019年)
『古代日本と興亡の東アジア』(共著、竹林舎、2018年)
『高麗・宋元と日本(石井正敏著作集3)』(共編、勉誠出版、2017年)
『前近代の日本と東アジア―石井正敏の歴史学―』(共著、勉誠出版、2017年)
『訳註 日本古代の外交文書』(共著、八木書店、2014年)
『梁職貢図と東部ユーラシア世界』(共著〈翻訳〉、勉誠出版、2014年)
『日本の対外関係 3 通交・通商圏の拡大』(共著、吉川弘文館、2010年)
『동아시아 속의 한일관계사 下』(共著、제이앤씨〈大韓民国〉、2010年)
『対外関係史辞典』(分担執筆、吉川弘文館、2009年)