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出版部

年号と元号(中央大学教授・水上雅晴)

平成30年12月1日、200年ぶりの譲位による新天皇即位が5ヶ月後になされることが政府から発表されると、新元号に対する関心がにわかに高まった。崩御を伴わない改元のため、新旧さまざまの情報メディア上では、元号に関する解説や議論、新元号に関する予想が自由に、そして活発に展開された。有志による元号作成ツールもいくつか公開されたのは、「平成」がIT技術の普及・発展と軌を一にした時代であったことの反映と言えよう。新元号に対する関心の高さは、平成31年4月1日正午近くの新元号発表時に一つのピークに達し、新聞の号外が壮絶な奪い合いになったことは記憶に新しい。

「元号」は日本語による呼称であり、本家の中国では同様のものを「年号」と称し、『漢語大詞典』にも「元号」は収録されていない。中国では古来、支配者が交替すると、新たに元年から年を数え直すことが定例化していた。これを「改元」と称する。改元はあくまでも年の数え方をリセットする意味しか持っていなかったが、漢の武帝(BC156-BC87)に至って、改元にともなって年に名前が付けられるようになり、この年の呼び名を「年号」と称する。「元号」は、「改元」と「年号」が組み合わさった言葉であろう。

中国で「年号」の制度が確立すると、周辺地域の支配者も自身の統治の正当性・正統性をアピールするための有効な政治ツールとして用いるようになった。年号は、対外的には政治的独立性を示す標識になるが、中国と異なる年号を立てるのは容易なことではなかった。「天に二日無く、土に二王無し」との通念を持つ中国は、自身の支配下にあると考える地域が独自年号を立てるのを許さなかったからである。五胡十六国期の諸国やベトナム各王朝の王は、中国との政治関係や国力差を考慮して、独自年号を立てるタイミングを慎重に見定めたり、自国の年号に関わる情報をコントロールしたりしていた。

古代の日本も同様であり、「大化」を立てるには相当の決心が必要だったことであろう。「大宝」から現在まで切れ目なく元号が続いていることは、我が国の長期にわたる統治の安定性を示す事象であり、その背後には、それを支える人々の絶え間ない努力があった。「令和」改元に合わせて編集・刊行した『年号と東アジア―改元の思想と文化―』には、日本・中国・朝鮮・ベトナムの年号に関わる多彩で読みごたえのある論考が収録されている。年号に対する理解を深めるための土台となる多様なテーマが、様々な研究分野に属する専門家によってなされており、貨幣や石碑などの文献以外の史料も使ってほぼ網羅されていると自負する。是非ご一読いただきたい。

なお、本書の一端を知るよすがとして、本書に掲載した序・目次・索引が下記URLより閲覧できる(PDFファイル)。

https://catalogue.books-yagi.co.jp/files/pdf/d9784840622271.pdf

序では本書の論考について紹介し、目次は本書の構成を示し、また索引では全論文でどのような語彙が掲出されているかを知ることができる。参照されたい。


水上雅晴(みずかみまさはる)
北海道大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。北海道大学文学部助手・助教、琉球大学教育学部准教授・教授等を経て、現在中央大学文学部教授。中国哲学。
〔主な著作〕
『年号と東アジア—改元の思想と文化―』(八木書店、2019年)
「日本年号資料在経書校勘上的価値与限制」(張伯偉編『域外漢籍研究集刊』10、中華書局、2014年)〔中文〕
『経典与校勘論叢』(共編、北京大学出版社、2015年)〔中文〕
「琉球「科試」の実施状況について」(『沖縄文化研究』44、法政大学沖縄文化研究所、2017年)
『日本漢学珍稀文献集成(年号之部)』(全5冊、共編、上海社会科学院出版社、2018年)
「江戸時代初期の改元難陳における経学的要素」(『紀要(哲学)』61、2019年、中央大学文学部)


【発売中】水上雅晴編/髙田宗平編集協力『年号と東アジア―改元の思想と文化―』