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紙魚の昔がたり

白木屋古書展の空前の成功 【紙魚の昔がたり24】

(八木) 明治古典会の会長は、三期か四期仰せつかって、つとめさせてもらったんです。三十年代には、私は全国のデパート、約六十軒ほどと契約をしまして、特価本販売をやりました。どこのデパートとも、コネがあったわけです。その関係で、古書の即売会も同時にやってほしいという、デパート側の要求があって、あちこちで開催しました。その中で、反町さんと相談して、三十七年の五月に、日本橋の白木屋で、文車(ふぐるま)の会の主催でやったのが大成功でした。ここにその会の出品目録がありますが、和本はもちろん明治物もいいものが非常にたくさん出ています。子規の「はてしらずの記」「和光帖」の自筆原稿、漱石の「思ひ出す事など」「太平洋画会」の原稿、藤村の「故国を見るまで」、芥川の「袈裟と盛遠」「妖婆」、茂吉の「金槐和歌集」、それに夢二の自筆スケッチ帖等々、第一級品が豊富に出品されている。テレビでも、古書のことを取り上げてくれまして、話を放送してほしいということで、反町さんと一緒に、TBSでしたかね、本を持って行きまして、それを示しながら、いろいろ説明したんですが、その頃としては目新しいことでした。
 (反町) それで思い出しましたが、あれは非常に大きな即売展でした。出品内容は確かに空前のものです。
 (八木) 新聞が取り上げて、じゃんじゃん書いてくれましたね。
 (反町) 百貨店を利用した古書展は、昭和二十一年から二十七、八年頃にかけて、大変流行して、あちこちで催され、われわれも本気で努力しました。みんな成功しました。二十年代の終り頃になると、生活必要品の生産が豊富になって、百貨店は、古書展に会場を貸すほどの場所的な余裕がなくなったわけです。我々古書業界の方でも、用紙も豊富、印刷も容易となって、自分の目録がドンドン自由に出せる。それこれの事情で、二十八年頃から、百貨店における古書展は急に衰えました。私たちはまったくやらなくなりました。それが約十年をへだてて、三十七年から、この文車の会の白木屋展の大成功をキッカケにして、再び盛んになる、その最初であります。そして、この話を持ってきたのが八木さんで、自分はデパートに特価本を入れているが、白木屋で古書展をやってくれないかとの話。よし、それじゃ、久し振りだからやろうか。今度は若い人々を中心に、文車の会の主催でやろう、と話をきめました。十年ぶりだから、盛んな会にしよう、と決心しました。この時は「善本精選一万点」ってのを謳い文句にしました。ンという音の韻をふんでるんです。それから、新しい味をつけるために、古書展の代りに、フェアーという名称を新しく発明しました。
 (八木) 錦絵もいくらかありましたね。
 (反町) 巌南堂、小宮山書店、高山書店、それから八木書店、そういう人たちが洋装本を出しまして、それから松村書店と、佐藤崇文荘さんが洋書を、和本は私と、それから井上書店が若干出しました。先立って、白木屋(この時はすでに東急の経営に移っていますが)の店長さんが、いくら位売れますか、ときかれましたから、千二百万円から千五百万円、最低で千二百万円と約束をしました。その頃の古書展としては最大の金額でした。景気を盛り上げるために、初日の前夜に、御披露のパーティーを催しました。業界としては初めてでした。
 (八木) この時はみんな気をそろえて、大いに張り切りまして、前夜祭をやろうじゃないか、ということで、前の晩にお客様をたくさん御招待し、東京の華客はもちろん、天理の中山正善さんなども、それに新聞社の人なんかをお招きして、大々的に披露しました。三笠宮も、確かいらっしゃって下さったと思うんです。盛んな前夜祭でした。お酒やウィスキーもたくさん出しました。
 (反町) 八木さんは宣伝がうまいですから、新聞方面を担当してもらいました。それからテレビ局へも働きかけました。
 (八木) 目録が出来るとすぐにNHKを始め各放送局、新聞社へ二日掛りで廻りました。その頃としては珍しく、テレビも取り上げてくれましてね。NHKの102でです。102は、あの当時、たしか八時十五分から始まるんですが、デパートが開くのは十時からです。102に出て説明する時に、宣伝的なことは一切言っちゃいけないんですが、ついウッカリして、現在すでに会場の前に、何十人かの人が行列して、開場を待っています、と口をすべらせてしまった。それがよく利いたらしく、白木屋の前に、ぞくぞく人がならび始めました。十時までには、まだ時間が相当ありましたから、東京中から人が集まってきて、ずいぶんな大騒ぎでした。テレビの影響も大きいですが、あの時分の古書展は、予約を受けつけないで、早い者勝ち。早く入場しないと、自分のほしいものが取れない。で、先きを争って並ぶわけです。とにかく、えらい人気でした。
 (反町) ふたを開けて見ますと、たいへんな景気で、お客さんが、ドーッと押し寄せるように入って来られて、十時開場のが、十時半くらいになりますと、二百坪あまりの広大な会場が、すっかり満員になった。身動きができないくらい。通路の中ほどに入った人は、もう本に近づけない。これを買う、と言われても、そこからカウンターまで、持って行こうとしても歩けない。人がいっぱいで、通れないんです。それで、これじゃ商売にならない、それに怪我人が出たら困る、とにかく客止めをしよう、と腹をきめました。急に白木屋に頼んで、エレベーターのところから、会場入口にかけて、太いロープをズッと張りまわして、入場を全部止めちゃった。大いそぎ、日本橋署へ電話をかけて、たいへんな騒ぎだから、警察の人に来てくれるように、と白木屋から頼んでもらいました。おまわりさんが三人、すぐに来てくれる。入口をすっかり閉めちゃって、十分置きに、会場から出た人数だけの人を入れてもらうことに、おまわりさんが整理をしてくれました。長い私の業界生活でも、初めての経験でした。従って売上も大幅にのびて、ノルマの三倍近くで、空前の大成功を収めたのであります。これも八木さんの紹介のおかげで、これからまた古書展が盛んになるわけです。