デパート古書部をやめる 【紙魚の昔がたり22】
(八木) 古書の方は、まだいろいろお話もあるんですが、私自身は、最初に話しましたように古本と特価本と出版と、それから美術の書画幅とをやってまして、各部門でお話があります。特価本は書物展望社の本が最初で、スタートを切ったわけですが、つづいて改造社・日本評論社・鉄塔書院などを手がけました。鉄塔書院は、岩波におられた小林勇さんが、岩波から独立してやられた出版社。出版点数は少なかったですが質的にいいものが多い。小林さんが岩波書店に復帰されるについて、残本はこれも私が引き受けました。それから太陽少年社・目黒書店・河出書房・アルス等々、数え上げればキリがないほど、たくさんいろいろな出版社の特価本を引き受けさせて頂きました。アルスでは、北原白秋の『邪宗門』の肉筆の原稿も、一緒に頂いたことを記憶しています。これは天理に納めました。
(反町) それで松坂屋は、どうしてやめることになったんですか。
(八木) 二十五、六年から以後は、一般商品の生産がドンドン殖える。三越も白木屋も、すべてのデパートは、商品がない時は古書部を歓迎してくれたのですが、回転の早い新商品がどんどん生産されてきましたから、もう古書部の時代じゃないと、全部やめてしまう。松坂屋も、まず銀座の方をやめ、山田君には上野に来てもらって、吸収合併にしました。最初は二階のいいところを広く使っていたんですが、四階に上げられたり、五階に上がったり、また中二階へ降ろされたりで、場所の縮小つづき。で結局、最後には、今度やる時には、お互いに協力しよう、というような約束で、やめたわけです。
(反町) 何年ですか。
(八木) 二十八年の三月二十一日です。デパートとしては一番長くやってたわけですね。
(反町) とにかく八木さんは、百貨店の古書部中で一番盛んでした。本腰で一生懸命にやったからでしょう。売買の成績もよかったし、松坂屋側との折合もよく、非常に円満でしたね。