• twitter
  • facebook
紙魚の昔がたり

入江文庫の大コレクション 【紙魚の昔がたり21】

(八木) つぎに先ほど反町さんが言われた「入江文庫」の件、これも最初私に話のあったもの。手帳を見ましたら、総売上げが百三万円になってましたですね。
 (反町) それは第一日の分……。
 (八木) ええ、古書会館でやった分です。
 (反町) それから翌日本郷へ行ってやった分が二十万円余り。二日分合わせて百二十万円ちょっと位でしょ。
 (八木) 目録が全然ないもんですから……。
 (反町) 私のところに目録もありますし、資料もみんなあります。「入江文庫」というのは、明治物の売立では、今日までのところ最大のものです。あれは、どうしてあなたのところに、最初に話があったんですか。
 (八木) 神戸のロゴス書店の前田さんからです。入江さんは、ロゴスと大変に親しい、パトロンのような関係だったと思うんです。大口だったので、私は反町さんに相談した。で、結局三人の「ノリ」になったんです。
 (反町) 入江さんっていう人は、材木屋さんでしてね。戦前及び戦中に、南洋から材木を輸入することが本業でした。もとから裕福な人だったようですが、昭和七、八年頃から、非常に金廻りがよくなられたらしい。本がお好き、ことに明治物が大好きだったものですから、それらを非常にたくさん集めた。同じ本でも、よりきれいな本が出ると、金を惜しまず取り換えたお人で、蒐集品は、どれもみんな大変にきれいな本ばかりでした。後にはさらに和本にまで手を延ばして、古版本、江戸時代の珍書を蒐集されました。売りこんだのは、神戸のロゴス書店の前田楳(うめ)太郎さん。これもちょっと変った面白い古本屋さんでした。戦争がやんで、南方からの材木の輸入が不可能になる。収入はない、物価は上がる。やむを得ず、二十一年にまず和本を手離すことになりました。ロゴスさんは、和本だから反町に頼もうというので、私のところにもって来てくれました。その目録を見ましたら、仲々良い物が揃っている。古版本では、至徳三年版の法華経音訓とか、明応版の論語とか、江戸時代のものでは、西鶴の五人女の美本とか。仲々優秀です。それじゃ、公平に入札売立にしましょうと話をきめて、私が札元で、大阪で入札しました。これでかなりまとまったお金が入りました。
 あの大インフレ時代ですから、二、三年で金がなくなってしまったらしい。仕方ないから、思い切って秘蔵の明治物を売ろうという話になった。明治物なら、東京の八木さんが、例の生田文庫の入札会で、『我楽多文庫』を二千百一円で買ったことが、前田氏の頭にこびりついていたんですね。八木君に頼もうっていうんで、八木さんに頼んだ。八木さんは、どうも大口すぎて、一人じゃ手に負えそうもないので、ぼくのところへ相談に見えたわけです。
 それで二十三年の十二月に、二人で神戸の郊外の海岸、たしか垂水の入江さんのところへ乗り込みました。家中、本がいっぱい。予想してたより、はるかにたくさん、はるかにいい本がたくさん。二日がかりで一応全部見た。一生懸命ソロバンをはじいて、総計で七十二万円だか三万円になった。その頃は安かったもんですね。この通りですって、正直に一々見積りのノートを見せましたら、入江さんはとてもそれじゃ売れない、せめて百万円に、と言われる。われわれも真剣に相談したけれども、とうてい百万円じゃ買えない。結局、委託入札ということにきまりました。大阪ではとうてい消化しきれないから、お預かりして東京に持って帰ることで、諒解を得ました。せめて百万円になるようにして下さいと言われて、せいぜい頑張りますとお約束する。
 さて、昼夜兼行で目録をつくったが、その頃のことですから、目録らしい目録は出せない。翌年一月に大判の一枚物の目録を出して、諸方へ配って、熱心に宣伝をする。ところが、何しろ品質が勝れているから、いざ入札して見ると、たいへんな景気でしてね。私のところに、今もあの時の入札の封筒が、ソックリそのまま保存してありますが大変な沸騰で、びっくりしました。出来高の総計が、さっきお話しした百二十余万円。入江さんもロゴスさんも大よろこび。それで、これがまた一つのキッカケで、明治物が一時盛んになりました。それも話の起こりは八木さんからです。