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紙魚の昔がたり

特価本方面で大活躍 【紙魚の昔がたり23】

(八木) ですから、松坂屋で古書部と同時に、別館で特価本卸部というのをやらせてくれたわけです。
 (反町) それも成功でしたね。
 (八木) 特価本というのは、あの頃ずいぶん盛んでした。しかし失敗もあります。講談社にいた人が独立して、『太陽少年』という月刊雑誌を発行していました。この社では、ずいぶん儲けさせて貰いましたが、最後には雑誌の発行を引き受けて大きな損失をしました。又、誠文堂新光社の小川菊松さんと、学校図書販売株式会社というのをつくろうとしたことがありました。その頃景気が思わしくなくて出版社がどんどんつぶれていた。出版社には、在庫品がたくさんあるんですが、銀行は在庫の書物では金を貸してくれない。ところが学校図書館協議会というところで松尾さんという人が中心で、全国の学校へ図書の推薦をする仕事をやっておられたんです。それで、特価本でも、中には質のいいもの、学校図書館向きのものもいろいろあるからそれらを推薦してもらって、一手で学校に納める機構をつくろうという案を、小川さんと二人でつくりまして、各方面と連絡をとり、原案をまとめました。
 その時分の金にして、年間約一億九百万円の仕入れで、それを一億三千万円に売り上げるという案でしたが、肝心な小川さんの方の内部から反対があって、結局実現せず、これも無駄骨折りでした。出版界では、現在在庫品の処理が大きな問題になってますが、その解決策の一つになるものだと思います。
 (反町) 八木さんの特価本方面での功績は、これまでの特価本屋さんたちが、ごく大衆的な読みもの、いわゆる赤本の類を主としていたのを、堅い学術的な書物の方面に切りかえるのに努力し、相当成功した点にあるように思いますが、どうでしょうか。
 (八木) そういうふうにとって下さると、ありがたいですが……。
 (反町) 特価本はその程度にして、今度は、大体四十年から以後、今の明治古典会が盛大になった頃、あなたが会長をやって、再び明治物の方を本腰でやるようになられましたが、その頃からあとの話をして頂いて、まとめとしましょうか。