召集で中支・南支・北支と転戦 【紙魚の昔がたり10】

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  • 召集で中支・南支・北支と転戦 【紙魚の昔がたり10】

    (八木) 太平洋戦争が、段々激しくなって昭和十九年の三月に召集されて、郷里に近い姫路の連隊に入る。もうこの頃は軍も資材が不足で、軍服が支給されない。私服のまま、朝鮮の平壌に送られました。検査の結果は乙種ですから、それまでに訓練は全然受けてない。平壌で教育を受けたんですが、教育が終わる頃に、四国の鯨部 […]

  • 公定価格問題で活躍 【紙魚の昔がたり9】

    (八木) そうこうするうちに、太平洋戦争が始まるわけですが、その前に、物資の不足から来る物価の急激な上昇を抑えるため、政府の指示で、あらゆる物に公定価格ができた。古本の価格も、その手でしばらなくちゃいけないということで、商工省から申し出があり、警視庁からも市場のことなどに干渉がありました。当時組合の […]

  • 難局打開の新方策 【紙魚の昔がたり8】

    (八木) その頃の本の好きな御大と言いますと、第一が徳富蘇峯先生。ここにお願いする。明治大学の先生方でも、ジャーナリズムの世界で重きをなしておられた尾佐竹猛さんのところに行きまして、原稿を頂きましたが、先生は忙しい人でしたから、書かれた本から適当な文章を抜かせて頂いて、掲載することも了解してもらいま […]

  • 組合が古書相場公開禁止 【紙魚の昔がたり7】

    (八木) 反町さんとか、文求堂さん、その他大勢の方が大変心配して下さって、いろいろ尽力応援して下さった。地方の同業からずいぶん沢山手紙や電話で激励して頂いたんですが、結局組合は、総会にもかけずに、決議一本で、公開を禁ずという断を下しちゃった。仕方ないから、東京の相場欄の部分は、相場だけを白紙にした号 […]

  • 明治大学入学、有力教授達を識る 【紙魚の昔がたり6】

    (郡田純一) 第一号は何年ですか。 (八木) 昭和九年ですね。一月二十五日号です。滑り出しよくやっているうちに、私自身商業学校しか出てないもんですから、編集や執筆に力が足りない。そこで明治大学の新聞学部に入りました。新聞学部は大学の卒業生じゃないと入れない学部なんです。実は佐々木さんといって反町さん […]

  • 『日本古書通信』の創刊 【紙魚の昔がたり5】

    (八木) 今だから言うんですが、実は日本古書通信社は、始めは反町さんと私と二人の協同出資でした。資金面でも応援をしてもらったわけです。私が六五〇円出し、反町さんから三五〇円出していただいて、一〇〇〇円の資本で始めたのです。通信の送り先として、全国の組合加入の古本屋の名簿と、沼津の古典社から出ていた古 […]

  • 「大阪古本通信」を譲り受ける 【紙魚の昔がたり4】

    (八木) 昭和七年頃から、大阪にプリント刷の『大阪古本通信』という相場ニュースの小誌が出来まして、そこで東京のニュースが欲しいという話で、これも反町さんのご紹介で、君、送ってやったらどうかということで送りました。他にも二、三人に頼んであったようですが、私が最も多かったでしょう。 (反町) 富樫栄治と […]

  • 一誠堂での店員生活 【紙魚の昔がたり3】

    (八木) ついでですから、一誠堂の、その時分の生活を話しますと、朝七時に起きまして、清掃をして、前日に買ってきた本を、反町さんの机の上に持ってきて、値段付けして貰って、店の棚へ納める。前の日に買ってきたものは、その夜十時に閉店してから、みんな集まりまして、反町さんが中心になって、この本は二円とか、一 […]

  • 古本修行に東京へ 【紙魚の昔がたり2】

    (反町) 岩波文庫が出始めたのは、あなたが入った年ですか。 (八木) その年、入ってしばらくしてからです。 (反町) 面白い動機ですね。 (八木) 徴兵検査の結果が乙種合格、兵隊に行かなくてもよくなったわけです。そこで当時の福音舎の社長の塩倉さんに、新刊の小売屋はやれないから、出版をやりたい、それに […]

  • 神戸の小売書店へ 【紙魚の昔がたり1】

    (反町茂雄) 今日は八木書店の八木敏夫会長においでいただいて、波瀾の多い、ご立身のお話をゆっくり伺いたいと存じます。お若い時から、この業界にお入りになる前後のことから、どうぞお願い致します。 (八木敏夫) 過分の御紹介を受けましたが、明治四十一年十二月に兵庫県の二見町東二見、現在は明石市に編入されて […]