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紙魚の昔がたり

難局打開の新方策 【紙魚の昔がたり8】

(八木) その頃の本の好きな御大と言いますと、第一が徳富蘇峯先生。ここにお願いする。明治大学の先生方でも、ジャーナリズムの世界で重きをなしておられた尾佐竹猛さんのところに行きまして、原稿を頂きましたが、先生は忙しい人でしたから、書かれた本から適当な文章を抜かせて頂いて、掲載することも了解してもらいました。これでずいぶん助かりました。木村先生からは原稿ももらいましたが、次から次へ筆の立つ人を紹介して頂いて、渡辺紳一郎さん、高橋邦太郎さんなんかも、木村先生の紹介でした。明治文学研究会の有力メンバーには、片っ端から紹介してもらったわけです。

さて、『日本古書通信』の創刊の当時、古書通信社をもつのと同時に、六甲書房という名前で古本の売買もしました。その六甲書房では、古本を取扱うかたわら、少し後には特価本、つまり出版屋さんの売れ残り出版物を、安く買い切って、古本屋さんに卸し売りする仕事をはじめました。当時私は、特価本を古本の一種、その大量的な取扱いだ、という考えでした。ポツポツいろいろの出版屋さんのものを引取りましたが、一番はじめに扱った大口は、内外書籍株式会社のでした。古事類苑とか読史備要、それに復古記・広文庫・皇学叢書・日本文学叢書など、古本屋さん向きの良い出版物が多く、それらを一手に引受けましたが、よく売れまして、相当な利を得ました。それからその当時、斎藤昌三さんの書物展望社の事業が行き詰まりで苦しくなり、私に話がありましたので、そこの単行本を全部引受けて、これも相当な成績をあげました。

(反町) その時、『日本古書通信』という名前じゃ具合がわるい、何という名前にするかって、相談があった。八木さんが、六甲書房というのはどうでしょうかという話。六甲って何ですかと聞くと、いや神戸の後ろに六甲山っていう山があって、大変いい山だからと言う。面白い、語呂も良いし、それになさいっていうことで決まりました。書物展望社の方は、内外書籍の本とは性格がかなり違いますが、書誌的なものが多いので、これもまた八木さんの六甲書房の扱い易いものでした。そんなことで、一時はどうなるかと心配したのでありますが、次々に新しい途を切り開いて、かなりの速度で、経営が段々に良い方向に向かうのが、外側からも見えました。

この方面で特筆すべき八木さんの功績は、特価本屋さんの大部分は、大衆小説や赤本の類、精々で二流・三流の字書など甘いものが主だったのを、古事類苑だの復古記だのという、学術的な価値の高い、堂々たる書物を特価本として扱い、しかもよく成功したこと、同時に、当時品薄になやんでいた古書業界を相当にうるおした点です。

 

「紙魚の昔がたり」公開済みタイトル一覧

 


関連書

m9784840634632反町茂雄編『紙魚の昔がたり』昭和篇

本コラムの全文をはじめ、弘文荘主・反町茂雄らが12人の古書店主から聞き出した古書業界の激動史。
https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/2045

 

 

 

 

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