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紙魚の昔がたり

公定価格問題で活躍 【紙魚の昔がたり9】

(八木) そうこうするうちに、太平洋戦争が始まるわけですが、その前に、物資の不足から来る物価の急激な上昇を抑えるため、政府の指示で、あらゆる物に公定価格ができた。古本の価格も、その手でしばらなくちゃいけないということで、商工省から申し出があり、警視庁からも市場のことなどに干渉がありました。当時組合の仕事をされていた三光堂の高橋さん、反町さん、その後には三橋猛雄さんなどが交渉を担当して、あまり苛烈なマル公をつくられちゃ困るので、必死に運動をされる。私も驥尾に付して、前田さんという担当官にちょっと縁がありましたので、その自宅へ訪問したり、商工省へ行ったり、関係の記事を書いてもらって、『日本古書通信』にのせたりしました。公定価格は、官報に掲載をして、効力が発生するんですが、掲載前にもれてはならぬとのことで、三橋猛雄さんと磯部芳三氏と私の三人で箱根湯本とか伊豆韮山の旅館にカン詰になって、官報の校正をした思い出があります。戦争の前にはマル公の問題が一番大きな問題でしたね。
(反町) 昭和十五年から十六年のことでしたね。商工省のお役人で前田福太郎さんという人が担当官で、しっかりしていて、しかもいばらない、いい人でした。組合では三光堂さんが副組合長で、実際の仕事をしておられ、私は理事で、このことの実務を担当し、後には三橋猛雄さんに引継ぎました。業界にとって重大な問題なので、前田さんと盛んに折衝しました。偶然、前田さんは『日本古書通信』の愛読者でしてね、本好きの人だった。八木さんは、この時まだ組合の役員ではないのでありますが、前田さんの八木さんに対する好意を、利用したり、利用されたりで、業者にとってひどく都合が悪くないように、また前田さんの役所の方の顔も立つようにと、一生懸命力を合せてやったわけです。で、最初の公定価格が決まったのが、昭和十六年のはじめだったと思います。
(八木) 私は十七年の三月に理事に任命され、同年九月に全聯事業部長に選任されています。事業部では小川勝蔵さんという業者の人と協力して、前田侯爵家の尊経閣叢刊の在庫品の残りを買い入れたり、雄山閣文庫を組合のために仕入れて配給したりしました。
(反町) 大変よく働いて下さった。
(八木) 小川さんも熱心でしたね。
(反町) あの人も、相当な実力者だった。