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紙魚の昔がたり

明治大学入学、有力教授達を識る 【紙魚の昔がたり6】

(郡田純一) 第一号は何年ですか。

(八木) 昭和九年ですね。一月二十五日号です。滑り出しよくやっているうちに、私自身商業学校しか出てないもんですから、編集や執筆に力が足りない。そこで明治大学の新聞学部に入りました。新聞学部は大学の卒業生じゃないと入れない学部なんです。実は佐々木さんといって反町さんのお友達ですが、その方が地理学の教授で、明治大学で教えておられたので、その先生にお願いして、新聞学部に入れて頂いたわけです。夜間ですから、昼間は古本の市場を回って、ニュースを取って編集をし、夜五時頃から行く。自分でいらないと思う学科には出ない。新聞の編集法とか、雑誌の編集法とかの講義にだけ出る。その時分の先生が大審院判事で明治文化研究会会長の尾佐竹猛さん、この間亡くなった木村毅さん、畑耕一さん、それから読売の井沢弘さん、平凡社の沢田久雄さん、こういう先生方に近づきました。

(反町) その頃はのん気な時代でね。ぼくの親しい友人で佐々木彦一郎君というのは、地理学をやってたんですが、東京大学では助手、明治大学では教授なんです。で、何とかよろしく頼みますと頼んだら、簡単に計らってくれました。八木さんは人付き合いのいい人ですから、間もなく尾佐竹さんだの、木村さんだの、有力な先生方に可愛がられて、いろいろ引き立てられ、それが直接間接、大変役に立ったようです。

(八木) 段々に仕事が忙しくなりましてね。いま日本古書通信をやっている八木福次郎ですね、私の弟ですが、それが佐々木先生のお世話で古今書院という出版社に入っていたのを、ひまを頂かせて、編集を手伝わせた。確か三年目の、昭和十一年八月です。手伝わせかけた時に、東京古書組合の役員会で、古書の相場の公開を禁ずるという決議をしました。私としては、全国の業者から喜ばれ支持されて、雑誌も毎号創刊号の二倍以上のページ数になり、部数も大いに増加する。そこで別に、図書祭記念に『全国古本屋聯合綜合古本販売目録』というのをはじめて、それも当たり、第二号を発行しようとしていた時でした。資金も楽になったので、反町さんの分はお返しして独立し、大阪はじめ、神戸・京都・横浜・名古屋・広島・福岡・札幌等々、各地に十いくつもの支局、又は通信部が出来ました。油の乗った盛り、仕事を拡張しようとした矢先きだったもんですから、この決議にはショックを受けて、大いに弱ったのです。

 

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m9784840634632反町茂雄編『紙魚の昔がたり』昭和篇

本コラムの全文をはじめ、弘文荘主・反町茂雄らが12人の古書店主から聞き出した古書業界の激動史。
https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/2045

 

 

 

 

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