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コラム

料紙から見る原本調査の世界(竹内洪介・日本近世文学)

● 料紙鑑定から見えてくること

こうした料紙の紙質鑑定によって、典籍の「格」が明らかになってくる。筆者はこれまで『聚楽行幸記』という典籍の調査を一年に亘って続けてきた。この『聚楽行幸記』は、後陽成天皇が豊臣秀吉の聚楽第に行幸した時の記録である。単なる記録としては伝承されず、写真のように行幸三日目の和歌会部分だけを抜書したもの、屏風として伝わったもの等が存在し、後世に大きな影響を与えた書と考えられる。

【架蔵『聚楽亭行幸和歌御会』】

『聚楽行幸記』については、秀吉の朱印が捺されて送られたと見られる送付本原本(大阪城天守閣蔵・斐紙)、および秀吉の手控えとして作られた副本と思われる手控本原本(尊経閣文庫蔵・楮打紙)が現存する。

さて、これより上記を除く『聚楽行幸記』の善本として、写真の斯道文庫蔵本(分類番号092・ト141・1)を例に検討してみたい。

【斯道文庫蔵『聚楽第行幸記』(巻頭)】

本書は堀川貴司「新収資料一覧」(『斯道文庫論集』第52号140-141頁)で紹介されたように、装訂は巻子で、料紙には楮打紙を用いている。外箱蓋表には「天正十六年五月吉辰梅庵由己記/建部賢文筆」と、伝承筆者の記載があるが、その筆跡を見る限り、大阪城天守閣蔵本および尊経閣文庫蔵本を清書した楠木正虎(楠長諳)によるものと思われる。つまり斯道文庫蔵本もある意味で原本に限りなく近い存在だと考えてよい。斯道文庫蔵本は大阪城天守閣蔵本・尊経閣文庫蔵本と並び、改装を経ない巻子装である。

『聚楽行幸記』の巻子本(改装を経ないものに限定する。また巻紙は除く)は少なく、上記の資料を除けばセンチュリー文化財団蔵本(斯道文庫寄託)、歴彩館蔵本、宮内庁書陵部蔵九条家伝来本にとどまる。これらはすべて楮紙であり、上記の資料とは装訂が同じでも紙質の面から見れば格が劣る。それはある意味当然のことで、原本(あるいは原本に近い)である上記の資料と、巻子本でも後世の写本と見られるこれらの楮紙資料では、その意味がまるで違ってくる。

佐々木孝浩『日本古典書誌学論』(笠間書院、2016年6月)において、巻子装が頂点に君臨する装訂のヒエラルキーが言及されて久しいが、料紙によっても斐紙を頂点とするヒエラルキーが認められるように思われる。『聚楽行幸記』が所収されたとされる『天正記』の一つは、『言経卿記』の記述では「鳥子」に記されたらしい。「鳥子」は一般には斐紙を指すもので、『聚楽行幸記』の重要写本が清書時に斐紙等の精製された紙に書かれたことは十分に推測できる。こうしたことを考えるならば、他の典籍の場合でも原本にどのような紙が用いられたのかという点について考慮するべきではないだろうか。

以上、諸本研究を行う上で料紙に注目することは、その典籍の「格」を考える一つの指標となるように思われるのである。