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村口書房

洒竹文庫本の始末【洒竹文庫及び和田維四郎氏1】

光明堂 洒竹さんの買い先はどういう所でお買いになったのですか。

村口 洒竹さんは東京では浅倉屋・琳琅閣、私の旧主人吉田金兵衛、芝で村幸というような所から買いましたが、大きな蔵書家になられたのは、雪中庵雀志と号した斎藤銀蔵(14)、このお方は、今の三越が三井呉服店といった時の番頭さんで、根岸に居られましたんですが、この方が俳書が専門でして非常に本が好きであって、この人の遺書、俳書を中心に古版地誌・西鶴物等、まとまったものは残らず洒竹さんが二千円で引き受けた、これがあの方を蔵書家にする原動力だったと思われます。

結局大野さんの蔵書は全部で一万円ですから、雪中庵雀志のが二千円とすると、我々が見違いしたかも知れませんが、我々同業者からお買い集めになられたものを金額に計算したら、全部で五千円位であったかも知れないと思います、見当違いかも知れませんから、そのへんはよろしく……。

反町 洒竹文庫の俳書が大学(15)へ行きました経路は、どういうのでしょうか。

村口 その当時洒竹さんのお母さんから、散らさずに三千円で俳書を売りたいという交渉があった。

  あなたは俳書はお買いにならなかったのですかね。

村口 洒竹文庫全部一まとめとしてのお話を致しましたが、その時から俳書は初めから分離されておりましたのです。その当時俳書は絶対に売れない、大野さんが歿してから俳書の売れ口が全然ありません。三千円で買ったからといって売る見込みがないので、引き受けた口の処分が附いてから、と言って逃げてしまった。それをなくなられた芳賀博士(16)が、散逸するのは惜しいというので大学へ交渉して、三千円で買って四ヶ年払い、という風にまとまったようです。

あの方のことですから俳人の真蹟も多く、蕪村の真蹟「奥の細道(17)」なども持っておられたでしょうが、我々は拝見もしませぬが、ただ大野さんは称名寺の「文選(18)」一巻を島田翰君から引き受けられて持っていたが、私が買う時は、遺族の方が書画・骨董の部類に入れてしまったので、買えませんでした。その後何年か経って、雲村さんが欲しいというので弟さんに会っていろいろ交渉しましたが、弟さんはしたたか者で中々高くて買い切れませんでしたが、ようよう四千円で雲村文庫へ入れました。

一心堂 今、金沢文庫にあるのと同じものですね。

村口 そうです。

(つづく)


※発言者(登場順)
村口・・・・・・村口書店 村口半次郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏
窪川・・・・・・窪川書店 窪川精治氏
光明堂・・・・・・光明堂書店 鹿島元吉氏
東・・・・・・東書店 東浅吉氏
一心堂・・・・・・一心堂書店 高林定輔氏