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洒竹文庫及び和田維四郎氏

洒竹文庫本の始末【洒竹文庫及び和田維四郎氏1】

村口 そんな頃でしたね、それで余程考えました。当今では申し上げるとお笑いになるか知れませぬが、その当時で一万円という本は書籍界としては珍しい事らしいのですが、当時自分は朝鮮の口を買って来たので一部分の人々には知られたが、まだ一般には知られていない。ここでいわば広告にもなるだろうと思いまして、一つ買って見ようという気になりましたから、無理とは思いながら言い値の一万円でお引き受けしたのです。

しかし文庫は一まとめとして分割はせぬ事、それから業者には売らない、この二ツの条件付ですから、私が買ったという事は言えないのです。本屋に売らぬのですから。どうしようかと考えたあげく、思いついたのが安田さんです。そこで仮りに本所横網の安田さん(3)が全部お買い上げ下さることに御願いして、そのお屋敷へ、中島力造さんの奥さんと寺尾寿さんの奥さん――これは大野洒竹先生の姉さんでしたが――の二人と洒竹先生の弟さん――今でも存命しておられますが――、この方々と同道致しまして参りました。

その時安田さんでは、「この品物は引き受けてもよいが、私は本屋でないから、先ず自分の家へ残して置きたいというものだけをとり、後は村口に払い渡して異存がないだろうか」と言われたところ、「こちらへ取っていただけばその後の事は別に異存がない」(笑声)という挨拶だったので相談がまとまりました。これを今申し上げました一月の十六日の夜半――十七日になりますが、真夜中の一時頃に荷を引き取りました。そうしますと安田さんから電話がひんぴんと掛かってまいりまして……。

反町 その時分は、村口さんのお店はどこに居られましたか。

村口 私は今の家(4)へ越したばかりでありました。安田さんから電話で「明日の朝見に行くから整理をして置いてくれ」と言う。なにぶん数は馬力で裸積みで四台あった。符牒を付けることも出来ませんから、小さいペーパーを買いまして本の後へ貼って、数字で値段をそばからそばから付けたから、幾らに付け上がったか判らない。

あくる日、安田さんがいらっしゃいまして、その中の優等品、概略申し上げますと勅版四書(5)及び「孝経」、この価格が二百円、種彦「田舎源氏」の草稿、これは二十三巻四十六冊で二百円、棭斎(6)の「本朝度量権衡考」の稿本二百円、これ等が主なもので、後は芝居物、吉原物、など相当金額のもので約四分の一を願ったのです。それから後は徳富さん、和田維四郎(7)さんその他の方が大勢いらっしゃいましたが、とにかく本というものは非常に優等品が多かった。五山版が三、四十種、古活字版が七、八十種、西鶴並びに好色本の優等品が十数種。光悦本謡曲揃い、洒落本が二百種以上、黄表紙六百種以上というのが主なるものでございますが、相当にございました。