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村口書房

洒竹文庫本の始末【洒竹文庫及び和田維四郎氏1】

村口 実は震災で持っていた手びかえを焼きましたので、自分の記憶に止まっているところをポツポツやるのですから、あるいは月日等の相違、名前の相違等があるかも知れませんが、御不審があったら御質問下さい、もっとも御質問下すっても大概判らないかも知れませぬが(笑声)、今夕は大野洒竹文庫と、和田雲村文庫について、時間のございますだけ申し上げたいと思います。

先ず洒竹(しやちく)文庫の方を先に申し上げますが、洒竹先生という俳人は皆さん御承知の通り、その伝記等は私が申し上げるより、ここに居られる反町君が前に雑誌(1)にお書き下すって尽きているようですから省略致しまして、洒竹文庫――大野さんの奥さんのことを、一寸申し上げたいと思います。

洒竹さんの奥さんは、銀座の精錡(せいき)水――岸田吟香という有名な方、その娘さんを貰ったのでありまして、私の知っている時分の洒竹さんは、俳書を少量買っていた位で、多方面にわたって古書をあつめていなかったようであります。これはあるいは想像ですが、岸田吟香さんが非常に本が好きで、沢山蔵書を持っておられたので、その感化を受けたのではないかと、私は感じているのであります。洒竹さんの本の買い初めは明治三十年頃からで、この頃からそろそろこの方面へ手をお出しになったように記憶しています。

私が洒竹文庫を譲り受けましたのは大正三年一月十六日でございました。この譲り受けに際しましては、大正二年の秋に洒竹文庫を一括して売りたい、それに対して評価が判らないから、浅倉屋さんに評価をお願いしたいというので、浅倉屋さんも評価せられたらしいのです。その時の条件は、全蔵書を分割してはならぬ、全体をまとめて買わなければいかぬという事でした。当時の浅倉屋さんの評価は、確か六千三百円だったと聞いておりますが、大野家の方では、一万円が欠けてはいけないというのであった。

右の話をきいた私は、一遍その蔵書を全部見ましょうということになって、故人になられましたが伊藤福太郎という御同業の者がございまして、これと同道しまして、当時その本をあずけてあった代々木の文学博士の中島力蔵さんの邸に上がった。二日かかってとにかく全部の本を見ましたが、何しろ先に浅倉屋さんも評価をされている事だから、こちらも精一杯に評価をせんならんというので努力してやりましたが、第一回は七千五、六百円にしか合計がならないのです、一万円には余程遠い。これではとても相談にならんから、第二回の評価に移りまして、二回目は自分ながら殆ど精一杯に評価しましたのですが、それが八千五百円でまだ一万円には遠い。

反町 それは村口さんがお幾つ位の時でしたか。

村口 そうですね、今「九(2)」ですから……、私は年は忘れてしまいますが……。

窪川 そうすると四十そこそこの時ですな。