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立正大学・古書資料館の世界

仏教学者・河口慧海の旧蔵書【立正大学・古書資料館の世界 2回】(小此木敏明)

4.東京書林聯合会の古書籍展覧会

慧海は、敬文堂書店と浅倉屋の店舗でこれらの本を購入したわけではないだろう。その理由は、各札の下部に「古書籍展覧會」と印刷されているためである。この会について述べる前に、慧海が『釈迦譜要略』と『審美綱領』をいつ購入したのかを考えたい。札中央部分の右端には、日付印と思われる印の一部分が確認できる。おそらく、購入した際に押されたものだろう。『審美綱領』の方は「11」、『釈迦譜要略』の方は「11.9.2」の数字が読み取れる。印全体が確認できないところを見ると、割印だったのかもしれない。この「11」が和暦だとすると、本の出版年と慧海の生没年から、大正11年(1922)か昭和11年(1936)の可能性があるだろう。しかし先ほど述べたように、敬文堂書店が昭和9年に改称していることを踏まえると大正11年の可能性が高い。

日付印

古書籍展覧会に話を戻す。新聞や『官報』を調べていくと、古書籍展覧会の広告を複数見つけることができるが、その中に大正11年9月21日の『官報』3043号がある。その広告によると、第44回古書籍展覧会が、同年9月23・24日に神田表神保町の南明倶楽部で開催される予定だったことが分かる。慧海がこの展覧会で本を購入したのであれば、先の日付印の数字は「11.9.23」、もしくは「11.9.24」ではなかったか。ちなみに、この展覧会は「正札即売」であり、入札制ではなかったようである。

先の広告によると、古書籍展覧会の主催は「東京書林聯合會」という団体になっている。この団体については、八木福次郎氏の『古本屋の回想』(東京堂出版、1994年)の「古書即売展の始まり」に記載がある。八木福次郎氏は、八木書店の創業者である八木敏夫氏の弟であり、日本古書通信社の社長を務めた人物で、2012年に亡くなっている。

福次郎氏によると、明治42年(1909)11月に横浜の浜港館で最初の古書即売会が開催された。なぜ横浜だったのかというと、東京に出て本を買うのが大変という理由で、横浜貿易新報社の富田源太郎氏らが東京の古書店にかけ合い、横浜に本を運んでもらって陳列・販売させたからという。これが成功を収めたので、横浜の即売会に参加した本屋が中心となり、東京書林連合会という名称のもと、明治43・44年頃から東京でも即売会を行うようになったそうだ。

ちなみに、慧海に『釈迦譜要略』を売った浅倉屋は、横浜での最初の即売会にも参加していた。『東京古書組合五十年史』(東京都古書籍商業協同組合、1974年)が引く『横浜貿易新報』の記事(明治42年11月18日)によると、最初の参加者は浅倉屋の他、瑞琅閣・文行堂・伊藤書房・元禄堂・松山堂だったことが分かる。