奈良絵本・絵巻の研究と収集(80)ー異国物語ー

三月に行われたABAJ国際稀覯本フェア2026に出品された作品の中に、『異国物語』があった。目録には、「江戸中期」制作となっていたが、文字をよく見ると、浅井了意(?~一六九一年)の筆跡に似ていた。もちろん、了意の筆跡であれば、江戸前期の制作となる。
そこで、会期の初日に、ざっと他の部分を見ていくと、浅井了意の文字の特徴が次々と出てきた。実は、これは私にとって幸いなことなのであるが、浅井了意の筆跡の作品は新しく見えるらしく、江戸中期以降の作品と判断されることが多い。とうぜん、値段もさほど上がらない。
ということは、浅井了意の筆跡の判断は難しく、ほとんど把握されていない、ということになる。この点は、居初つなの作品群との大きな違いである。時代的にはさほど変わらない居初つなの文字は、その書が筆の手本であったにもかかわらず、特徴があり、判断しやすい。また、居初つなの作品は、絵もつなが描いたものがほとんどで、その絵にも大きな特徴があるので、バレやすいのである。とうぜん、近年の居初つな作品の値段は高騰しており、版本にいたるまで異常な値段が付いていることがある。これは私にとっては残念なことであるが、居初つなの存在が知られてきた、という点においては、ありがたいことである。
一方で浅井了意は、古くからの著名な文学者でありながら、私が研究する前には、自筆版下の研究がある程度で、平仮名の自筆資料の存在すら知られていなかった。私が奈良絵本・絵巻の中に、浅井了意の筆跡の作品があることを指摘し、その筆跡の特徴の一覧表も提示したのだが、了意の文字については一覧表だけで簡単に習得できる筆跡ではないようである。私自身も、この筆跡は朝倉重賢の筆跡とよく似た筆跡として分類していたように、浅井了意と朝倉重賢の筆跡はよく似ている。
筆跡を習得するには、全ての文字を分解して一覧表を作るべきなのであるが、短い作品であれば、それは可能であろうが、長い作品や多くの作品を比較する時には、このような分解はできるはずがない。いずれ、AIが簡単にそのような作業をしてくれるようになると思うが、全文字分解をしなくとも、全文の翻刻作業を繰り返せば、その筆跡の特徴は自然と頭に入る。たまたま、私は、珍しい原典に出会うことが多く、国文学作品の基礎的研究としての翻刻を多くこなしていた。完璧ではないにしても、これとこれが同じ筆跡である、ということは早くに習得することができたのである。
よく考えると、この翻刻という作業も、今後の研究者が多く行うことはないであろう。しかも、研究者によっては、翻刻は若いうちにしてはいけない、とおっしゃる先生も何人もいるのである。この考えもよく分かるのであるが、私の場合は、これまで知られていない内容の作品を理解するには、自分で翻刻するしかなかったのである。
私が考えていた浅井了意の筆跡については、その後、署名入りの作品も登場しているので、間違いないと思っている。居初つなの作品でも経験したが。途中まで見た時点にこの人の筆跡だと思っていると、末尾等に署名が出てくる、という場合がある。ここまで来ると、ほぼ、その人物の筆跡を習得した、と言って良いであろう。
私は、二〇〇一年に浅井了意の筆跡の発表をしているのであるが、その後、研究者の方々から、これは了意の筆跡で良いか、との問い合わせを時々受けるのだが、これまでのところ、正解であった例はない。多くは朝倉重賢の筆跡のものであった。本格的に浅井了意の筆跡に関する本を出さなくてはと考えているが、一方で、出してしまうと、関連作品は高騰してしまう。何しろ、自筆版下の版本すら、浅井了意の作品はかなりの値段なのである。幸いに、現段階では時代判定も間違われる作品群であるので、手に入れることができるが、今後は難しくなるであろう。
さて、今回の『異国物語』の体裁は、画帖に貼られた六〇枚の作品である。特大奈良絵本よりも大きく、縦長の一枚の、上部に文字、下部に絵が描かれている。この体裁は、以前『虫の歌合』で取り上げた、六枚の作品の構成と全く同じである。私が所蔵するその六枚は、浅井了意の筆跡であった。たまたま徳田和夫氏が所持していた『虫の歌合』六枚も、同じ体裁であったが、その一枚に架蔵と同じ場面であり、もともとのつれではなかった。徳田氏蔵六枚は、朝倉重賢の筆跡であるから、この体裁の『虫の歌合』は、了意筆と重賢筆の二種類があることが分かったのである。
その『虫の歌合』と同じ体裁の『異国物語』が出てきたのであるが、この体裁は、奈良絵本・絵巻としては極めて珍しい。だいたい奈良絵本・絵巻と呼んで良いのか、という形であるが、本文も絵も一七世紀半ばから後半にかけての奈良絵本・絵巻と酷似しているので、やはり、当時の絵草紙屋の制作であろう。
『異国物語』は、一六五八年に刊行されており、国文学上の分類では仮名草子作品の一つである。作者は不明である。その版本の影印は、『仮名草子集成』第四巻(東京堂出版、一九八三年)に収められている。その版本と今回の六〇枚を比較すると、ところどころ、本文が異なっているのである。言うならば『異国物語』の異本ということになる。
『異国物語』は、版本もなかなか見ることがないが、奈良絵本・絵巻類としても珍しく、パリにあるフランス国立図書館が縦型奈良絵本を所蔵しており、こちらは、カラーで『異国物語』(古典文庫、一九九五年)に紹介されている。そのパリ本の本文は、版本と同じである。
ということは、伝本が少ない仮名草子作品で、本文系統の異なる作品が出てきたことになる。しかも、その内の一つは浅井了意の筆跡である。さらに、以前から気になっていたのだが、版本の『異国物語』の筆跡は、一部浅井了意のものに似ているのである。こちらは、了意筆とは考えていないのであるが、なぜか、版本の筆跡が了意に近いのである。
『異国物語』の内容は、中国で作られた『三才図会』の翻案である。忠実な翻訳ではないが、漢文を平仮名にしているのである。作者不明の散文作品の作者を特定するのは至難の業だが、以前から論じているように、浅井了意筆の作品が出てきた場合、内容の作者も了意であることを検討するべきである。版本において了意の筆跡で出てくると、それが了意の作品である、ということは、多くの研究者が論じてきた。一方で、奈良絵本・絵巻には、『源平盛衰記』や『酒呑童子』といった作品もあるため、全てがこれに該当するわけではないが、書写した作品群を並べると、普通の筆耕が写した作品群とは異なる特徴を見ることができ、その一部は了意が創作、あるいは、改編をしたのではないかと考えている。これについては、さらに別の『異国物語』屏風を取り上げて、次回に記したい。
写真は、今回出てきた『異国物語』六〇枚の内の二枚である。


〔書き手〕
石川 透(いしかわ とおる)
1959年、栃木県足利市生まれ。
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
慶應義塾大学文学部名誉教授(国文学)。
〔主な著作〕
『慶應義塾大学図書館蔵 図解御伽草子』(慶應義塾大学出版会、2003年)
『奈良絵本・絵巻の生成』(三弥井書店、2003年)
『奈良絵本・絵巻の展開』(三弥井書店、2009年)
『入門 奈良絵本・絵巻』(思文閣出版、2010年)
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