小さな記号が導く“歴史パズル”の解き方【史料纂集こぼれ話(1)】

史料集を支える小さな工夫
史料集という書籍の形態がある。その多くは古記録や古文書などの元の文字を活字化し、注や解説などを付して出版される。実は史料集には史料の内容を読むうえではあまり気にすることのない細やかな配慮や工夫がなされている。
ここでは、そのような史料集の配慮と工夫、具体的には一つの編集記号によって助けられた経験を記してみたい。
「史料纂集」の版面はどのように構成されているか?
図1 『史料纂集 古記録編 北野社家日記 第一』の版面(延徳元年10月22日~28日条)
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「史料纂集」の中から『北野社家日記』の版面を上に掲げた(図1)。「史料纂集」の版面は基本的に以下の要素によって構成されている。
①翻刻本文:元の文字を活字化し、解読の便宜を図るために読点〈、〉や並列の区切りを意味する中点〈・〉を付けたもの。
②標出〈ひょうしゅつ〉:翻刻本文を理解するために必要な概要や人名について、版面上方に付された上部の注。
③校訂注:( )により参考や説明を付し、また〔 〕により誤・脱の修正を示すなどした文字の傍らの注。
④丁数:元の冊子本の紙の枚数と、表〈オ〉か裏〈ウ〉かの記号とで示したもの。
⑤丁替わり記号: 記号〈」〉で元の冊子本の丁数・表裏の替わり目を示したもの。
①~③は史料集の根本を成す要素である。しかし④・⑤はどうだろう。元の冊子本と照らし合わせて翻刻本文を読む場合には役立つが、史料の内容を読み解こうとする場合には使わない、むしろ不要な記号ではないか。私はそのようにしか思っていなかった。あの時までは。
記録断簡はパズルのピースになるか?
ある日、私はふと目にした末柄豊氏の論文に強く惹かれた。連歌師で北野連歌会所宗匠であった宗祇(1421―1502)や猪苗代兼載(1452-1510)の書状には、紙背に記録断簡(前・後、あるいは両方に欠落がある記録の一部)が見られるものがあり、その記録断簡は元来『北野社家日記』の中でも松梅院禅予(?―1494)が記した部分の断簡または禅予の書写した記録類の断簡だという(末柄、2002)。
宗祇や兼載の書状は(図2①)、情報伝達の役目を終えて反古紙となり(図2②)、『北野社家日記』を記す料紙となった(図2③・④)。しかし、いつしか元の書状や発給者に注目が集まって『北野社家日記』から取り外され(図2⑤)、結果として表面は文書、裏面は記録断簡として伝来したのだ(図2⑥)。
図2 文書が日記の料紙となり、その後日記から抜き出されるイメージ
(読点〈、〉を含めてのイメージ)
逆に考えれば、この記録断簡は『北野社家日記』のどこかにパズルのピースのように「はまる」可能性があるのではないか。もちろん、抜けているピースが1つとは限らないから、都合よくぴったりと「はまる」かどうかは分からない。それでも試してみる価値はあるだろう。
その際手掛かりとなるのは、書状や記録断簡に記された年月日や人名と欠落部分の存在だ。もし記録の一部が欠落しているならば、『北野社家日記』の中に接続が不自然で意味を取りにくい箇所が存在するだろう。そして、その不自然さは記録断簡をはめ込むことで解消するかもしれない。記録断簡はパズルのピースになりえる。
ピースがはまる場所を探す
末柄論文で紹介されているなかで、発給年月日・発給者がはっきりしている文書がある。『竹内文平氏所蔵文書』所収「松梅院禅予香銭送進状案」がそれだ(日本古文書ユニオンカタログ)。発給年月日は「長享三年卯月廿六日」、発給者は「松梅院禅予」。この文書は花押が押されていて正文であるかのように見えるが、このような案文(草案、手控え)は『北野社家日記』の中の松梅院禅予が記した部分の紙背文書に多く見られるという。この文書の紙背の記録断簡には「北野宮寺大工職」に関わる内容が記されている。
私たちがコピー用紙の裏面をメモに用いるのと同じように、禅予も紙を有効活用すべく様々な文書の裏側を用いて『北野社家日記』を記していた。それゆえ、記録断簡の内容が記されたのは、文書が記された年月日よりも後ということになる。
『北野社家日記』長享3年(1489。8月に改元し延徳元年)4月26日以降で、最初に「大工職」に関わる内容が記されている箇所は延徳元年10月23日条だ(図1)。標出には「大工給分」「大工職」と記されていて目視での検索を助けてくれる。それでは、もし記録断簡が10月23日条のどこかに「はまる」として、接続が不自然で意味を取りにくい箇所をどのように探せばいいのか。一文字ずつ確認する必要があるのか。
実は既にそれを示してくれている記号がある。冒頭で示した④丁数と⑤丁替わり記号だ。一通の文書を完全な形で抜き出すためには、一紙・二紙と紙単位で抜き出す(図2)。そのため、抜き出した紙の元の位置を探すためには、丁数(=枚数)の境目を探せばよい。ピースはα丁とα+1丁との間に「はまる」のだ。
ピースがはまる瞬間
10月23日条には丁替わり記号が2つある。その中で丁数の境目となるのは、「30丁ウラ」と「31丁オモテ」1か所のみだ。その前後には以下のように記されている(( )内に現代語訳を示した。以下同じ)。
当社大工給分事、毎年拾五石之由帯御奉書、」大工職事可改動者也、為後證注置者也、(当社=北野社の大工の給与のことについて、毎年15石であるとの御奉書を持参して、」北野社の大工職を辞めさせるべきものである。後の証拠のために記し置くものである。)
丁替わり記号は「御奉書、」と「大工職」との間にあって、ここが30丁と31丁との境目である。そしてこの部分の前後では意味が通じないことが理解できる。ここに記録断簡をはめるとどうなるかを以下に示した(図3)。
図3 『北野社家日記』に松梅院禅予香銭送進状案紙背の記録断簡を差し込んだ元の姿の復元イメージ
『北野社家日記』と記録断簡の2箇所の繋がり具合を確認しよう。まず30丁ウラと記録断簡との繋がりはこうなる(記録断簡部分は〈 〉で示した。以下同じ)。
当社大工給分事、毎年拾五石之由帶御奉書〈幷禪融法眼折紙申者也、然此両通謀書之旨見分之、言語道断次第也、〉(当社=北野社の大工の給与のことについて、毎年15石であるとの御奉書ならびに禅融法眼の折紙とを持参して申すものである。しかしこれらの御奉書と折紙との2通は偽造文書であると見破った。言語道断のことだ。)
意味が通じて自然な文章だ。「御奉書」の後ろの読点〈、〉は不要となるだろう。次に記録断簡と31丁オモテとの繋がりはこうなる。
〈於奉行所一段可糺明者也、若謀書実者、〉大工職事可改動者也、為後證注置者也、(奉行所において厳密に糾明するべきことである。もし偽造文書であることが確かめられたならば、北野社の大工職を辞めさせるべきものである。後の証拠のために記し置くものである。)
こちらも意味が通じる。また、記録断簡部分の記載をあてはめた上で前後を読みなおしても、北野社の大工職にどのような問題が起きていたのかをより深く正確に理解することができる。つまり「松梅院禅予香銭送進状案紙背の記録断簡の内容」は『北野社家日記』の延徳元年10月23日条「御奉書」と「大工職」との間にはまるのだ。
小さな工夫が生む大きな発見
丁数と丁替わり記号が無かったならば、スムーズに探すことは難しかったに違いない。この発見は間違いなく史料集を作る上での配慮と工夫に起因するものだった。なお、八木書店から刊行されている「Web版史料纂集」において、丁替わり記号は検索に引っかからない。それは丁替わり記号が検索の「ノイズ」になると考えた上での対応であり、丁替わり記号などのレイアウトを示す書籍版面は、テキストと一緒に表示され確認できるので問題はないとのことだ。これもまた新時代のWeb史料集のための配慮と工夫だと言えるだろう。
今のところ探しだすには至っていないが、末柄氏の指摘を踏まえると同様の例はさらに見つかるかもしれない。あなたが目にしている丁替わり記号の前後は文意が通じているだろうか。もし意味が通じないとき、そこにはパズルのピースがはまるのかもしれない。
参考文献・Webサイト
・末柄豊「宗祇書状の伝来に関する一考察―蒐集文書と紙背文書―」『室町時代研究』1、室町時代研究会、2002年
https://researchmap.jp/read0180596/published_papers/832679
・日本古文書ユニオンカタログ『竹内文平氏所蔵文書』「松梅院禅予香銭送進状」
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/300/3071.56/18/3/00000128?m=limit&f=00000127%2C00000128&n=20
(ユニオンカタログ上では、文書名を「松梅院禅予香銭送進状」とするが、末柄氏の指摘する通り案文である。)
・日本古文書ユニオンカタログ『竹内文平氏所蔵文書』「某覚書」
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/300/3071.56/18/3/00000129?m=limit&f=00000129,00000130
(記録断簡には永享10年(1438)8月11日に「禅融」という人物が出したとされる書状が引き写されている。しかし、禅融は当該期にそのような文書を発給できる立場には無かった。このことについては、かつて『北野社家日記』第七を精査して明らかにした(佐々木創「中世北野社松梅院史の「空白」―松梅院伝来史料群の批判的研究に向けて―」『武蔵大学人文学会雑誌』39―2、2007年。https://researchmap.jp/read0100628/published_papers/3842018)
〔執筆者〕佐々木創(共立女子短期大学、京都芸術大学、青山学院大学非常勤講師)
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