酒の記事の真実は 【会計報告書が語る古代の社会 8】

奈良時代の正倉院文書に国ごとの会計の収支決算報告書「正税帳」が27通現存する。それを読み解くと、当時の地方財政・特産物・交通手段・産業、さらにはパンデミックによる救済措置・被害状況までが見えてきた。
「正税帳」に記されたとある高官への「酒」の支給量。規定の2倍もの酒が記されている。これは「誤記」なのか、それとも「裏帳簿」に記された「リアルな飲みっぷり」だったのか?また、別の記録では、元役人が大量の「欠酒」の賠償を求められたという記述がある。酒蔵からの盗難か、それとも職務上のアクシデントか?酒にまつわる謎を推理する。
大酒飲みの伝使
天平10年度周防国正税帳は、同国を通る使者への給粮を記している。
66 (十月)十四日下伝使〈豊後国守外従五位下小治田朝臣諸人
将従九人合十人、四日食、稲十二束四把・酒八升・塩八合〉
豊後国へ向かう新任の国守である。任命した記事は「続日本紀」にある。「四日」は周防国横断の標準日数である。問題は「酒八升」である。一日二升になる。食法(食料支給規定)では、この官人は酒一日一升のはずである(当時の枡は現代の半分弱の大きさ)。
ここでの問題は、実態ではない。実際はどうであっても、規定通りだったと書くのが役人の書く公文書だろう。この帳の記す使者への給粮は、この一件以外はすべて規定通りである。
誤記か
そうすると、これは誤記であろうか。しかし誤記は、いつどのようにして生じたのか。酒四升が普通だから、八升とあった支出控えを四升と改める誤記ならありうるだろう。しかし四升を八升とする誤記は、まずありえないのではないか。四日食を八日食、片道ではなく往復したと誤解したのか。しかしちゃんと四日と書いてある。
裏帳簿か
食法は役所の規定だが、実際の飲食がその通りだったわけではない。酒はまったく呑まない人も、いくらでも呑む人もいただろう。そこを上手に調整して、結果として年間支出額を制度通りにまとめるのが、現場管理人の腕である。この「酒八升」は、実態ではなかったか。そしてそれを書いた裏帳簿の数字が、誤って表に出てしまったのではないだろうか。実際を記録した裏帳簿は存在したはずである。現場としては、自分が盗んではいないことを証明するためのものである。
この豊後国守は、外従五位下の高官である。正税帳で判明する周防国を通過する使者の中では、最高位である。もっと酒を出せと言われたら、出さないわけにはいかなかっただろう。
和泉監の「欠酒」
天平九年度和泉監正税帳の「欠酒」も、意味が不明である。
81(大鳥郡) 欠酒二十五斛七斗七升<旧佑丹比宿袮足熊可償未進>
258(日根郡) 欠酒三十九斛三升八合<前佑丹比宿袮足熊可償未進>
和泉「監」は「国」に相当するから、「佑」は「掾」相当である。「旧」と「前」の違いは、郡から監に出した正税帳下書きの文字が違っていたのだろう。既に退任済みである。佑であった時の責任だから現職を書かないのだろうが、あるいはこの未進があるので現職が無いのかもしれない。同様の「未納」に関しての記事には「故」と付く官人がいるから、足熊は生存している。
酒を賠償する義務があるわけだが、この事情は不明である。大酒飲みで自分で呑んだにしては、多量である。酒蔵が管理不十分で破損したのなら、一箇所だけだろう。和泉監は三郡であり、残る和泉郡の欠損部にも同様の記事が存在したのではないか。また建物の管理なら郡司も責任があるはずである。
まだ酒樽は無い時代である。大きな容器としては、酒は五斛入りの甕に入れられていた。中身入りだと一甕で百㎏以上の重さである。闇夜にひそかに盗み出すのは難しそうであるし、明らかな窃盗なら、また別の書き方があるだろう。この記事は、なにか職務上の事故といったことを想像させる。
江戸時代の名代官の話を思い出す。管内を見回っていた足熊は、庶民が寒さに震えているのを見て、官の酒蔵を開け人々に酒を施したのである、と。
これは想像ではなく、妄想である。
なお、これまでのコラムにかかわる出版物、榎英一著『正税帳読解』が八木書店より2026年1月に刊行される。ぜひご一読いただきたい。
【今回の八木書店の本】『翻刻・影印 天平諸国正税帳』
長らく品切で、復刊が期待されていた林陸朗・鈴木靖民編『復元 天平諸国正税帳』(1985年、現代思潮社)を全面改訂。
【編者】鈴木靖民・佐藤長門/【執筆者】荒井秀規・榎 英一・早川万年・山﨑雅稔
本体15,000円+税
初版発行:2024年11月1日
A5判・上製・函入・2分冊・546頁+カラー口絵4頁
ISBN 978-4-8406-2267-7 C3021
〔書き手〕
榎 英一(えのきえいいち)
元学芸員、教員。日本古代史。

〔主な著作〕
訳注日本史料『延喜式 中(主税式)』(共著、集英社、2007年)
『律令交通の制度と実態―正税帳を中心に―』(塙書房、2020 年)
『翻刻・影印 天平諸国正税帳』(共著、八木書店、2024年)


