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会計報告書が語る古代の社会

女性皇太子と珠玉【会計報告書が語る古代の社会 7】

奈良時代の正倉院文書に国ごとの会計の収支決算報告書「正税帳」が27通現存する。それを読み解くと、当時の地方財政・特産物・交通手段・産業、さらにはパンデミックによる救済措置・被害状況までが見えてきた。

「正税帳」に記された珍しい「珠玉を探す使者」の記録。この使者は、当時の女性皇太子(後の孝謙天皇)に仕える役人だった。本書では、多数の従者を連れて真珠や宝石(「珠玉」)を求めて旅をする使者の足跡をたどりながら、その背景にある謎を解き明かす。

珠玉を求める使者

天平10年(738)度駿河国正税帳に、次のような記事がある。

13  覓珠玉使春宮坊少属従七位下大伴宿袮池主<上一口、従八口>六郡別一日食

「覓(「ベキ)」は、もとめる、さがしもとめる、の意味。珠玉を探し求める使者である。珠玉は真珠や宝玉のことらしい。それを求めて遥か遠くへ(京から見て駿河国より向こうとしかわからないが)、出張しているのである。

その使者大伴宿袮池主は万葉集に大伴家持とかわした歌があるが、それより問題は、その官職である。春宮坊(トウグウボウ)は、皇太子に仕える役所である。皇太子とは、この天平10年正月に女性としてはじめて皇太子となった、阿倍内親王(のちの孝謙天皇)である。その女性皇太子に仕える役人の出張である。従八口(お供が八人)というのは、従七位下の官人に対しては多い。ふつうは三人程度のはずである。この八人には、珠玉の専門家、海に潜って真珠を探したり、山に分け入って宝石(ヒスイや水晶などか)を探す、あるいはそれらを加工する専門家が同行しているのではないか。

この珠玉探しは、女性皇太子の希望か、官人が忖度したのか。

使者の性格は

しかし以上の推定には、女性は宝石が好きだろうという先入観があるのではないか。使者になるのは、その役職(皇太子関係だから春宮坊官人)という場合と、個人の能力(珠玉を鑑別する能力に優れるとか)による場合とがある。同じ正税帳にある、

19  従陸奥国進上御馬部領使国画工大初位下奈気私造石嶋(下略)

は、画工と馬を扱うこととは無関係だろうから、馬を運ぶのに向いている者が選ばれたのだろう。

17  検校正税下総国下兵部省大丞正六位上路真人野中(下略)

は、迷うところである。正税の検校とは、倉に入っている稲や穀を検量し帳簿を調べることである。この者はそうした算術の能力に優れていたのか。ただし別の見方もありうる。下総国(千葉県・茨城県の一部)に兵部省(今の防衛省)の財産があって、兵部省としての検校の可能性である。しかしそれなら「検校兵部省○○稲」とでもあるのではないか。 ということで、実はよくわからないのだが、珠玉探しは春宮坊の仕事らしいと見ておく。

皇太子と珠玉は

女性への先入観を抜きにして考えると、皇太子だから珠玉が必要、ということはないのか。つまり皇太子として使う調度品や装束に、珠玉は使わないのか。

同じ天平10年度の筑後国正税帳に、珠玉を買って進上する記事がある。太政官の天平十年七月十一日の命令で買った玉・数量・費用は、

29  白玉 113枚 直稲 71束1把1分
31  紺玉 701枚 直稲 41束1把8分
32  縹玉 933枚 直稲 47束7把8分
33  縁玉  42枚 直稲  3束1把7分
34  赤勾玉 7枚 直稲 16束8把
35  丸玉  1枚 直稲    1把2分
36  竹玉  2枚 直稲    3把4分
37  勾縹玉 1枚 直稲  1束8把
(後欠)

「縁玉」(33)は「緑玉」の誤記だろうことは想像がつく。玉を「枚」で数えるのは、何か新鮮である(個人の感想です)。数がバラバラなのは、ともかくたくさん買って送れ、ということだったのだろう。しかし700枚や900枚の玉は、何に使ったのか。大きさも不明である。正税帳でわかるのは名前と当時の購入価格だけであって、実は皇太子用だったかどうかはわからない。

駿河国正税帳には、上総国(千葉県中部)からの文石(メノウか)進上の使者もいる。

15 従上総国進上文石使大初位下山田史広人<上一口、従二口>六郡別一日食

上京する使者がついでに運ぶといったこともできるから、専門の使者を仕立てて運ぶというのは貴重な品であって、やはり女性皇太子への献上品だろうか。あるいは即位式の調度品を作り始めていたのかとも想像するのだが。

なお、これまでのコラムにかかわる出版物、榎英一著『正税帳読解』が八木書店より2026年1月に刊行される。ぜひご一読いただきたい。

【今回の八木書店の本】『翻刻・影印 天平諸国正税帳』

・PDF試し読み

長らく品切で、復刊が期待されていた林陸朗・鈴木靖民編『復元 天平諸国正税帳』(1985年、現代思潮社)を全面改訂。

【編者】鈴木靖民・佐藤長門/【執筆者】荒井秀規・榎 英一・早川万年・山﨑雅稔
本体15,000円+税
初版発行:2024年11月1日
A5判・上製・函入・2分冊・546頁+カラー口絵4頁
ISBN 978-4-8406-2267-7 C3021


〔書き手〕

榎 英一(えのきえいいち)
元学芸員、教員。日本古代史。

〔主な著作〕

訳注日本史料『延喜式 中(主税式)』(共著、集英社、2007年)
『律令交通の制度と実態―正税帳を中心に―』(塙書房、2020 年)
『翻刻・影印 天平諸国正税帳』(共著、八木書店、2024年)

翻刻・影印 天平諸国正税帳

『正税帳読解』(八木書店、2026 年)

正税帳読解