古代馬のリアルな生涯【会計報告書が語る古代の社会 3】

奈良時代の正倉院文書に国ごとの会計の収支決算報告書「正税帳」が27通現存する。それを読み解くと、当時の地方財政・特産物・交通手段・産業、さらにはパンデミックによる救済措置・被害状況までが見えてきた。
「正税帳」には古代の馬たちの生涯が記されている。献上される「御馬」や種馬「父馬」の待遇の違い、雨具をつけた馬、そして役目を終えて売られた馬の運命。本書は、会計記録から、古代の馬たちの待遇や人間との関わり、千年以上前の馬たちの息遣いを描き出す。
御馬と父馬
『翻刻・影印 天平諸国正税帳』の件名索引で「馬」を引くと、30か所以上ある。冒頭は天平六年度尾張国正税帳である(行頭の数字は行数番号、〈 〉内は二行書き)。
65 自陸奧国進上御馬肆匹飼糠米弐斛壱斗玖升参
66 合〈三日々別馬別一斗八升三合〉穎稲参拾陸束陸把〈束別六升〉
67 下上野国父馬壱拾匹秣弐拾伍束〈二日々別馬別一束二把五分〉
65行は、陸奥国から進上する4匹の御馬が、尾張国(愛知県西部)を通過した記事。正税帳は会計報告だから正税の収支に関係することで記事になる。御馬には、3日間それぞれ「糠米」を差し上げた(御馬だから敬語になる)。1日1匹につき1斗8升3合で、その12倍(4匹×3日)だから2斛(石)1斗9升6合のはずだが、末尾を「3合」と書いている。役人の会計報告で辻褄が合わないのはおかしいが、案外御馬が食べ残して実際の支出は「3合」であって、ついまちがって正直に書いてしまったのかもしれない。糠米は、穎稲(穂首で切った稲)で買っている(作ったか?)。穎稲1束で糠米6升だから、穎稲支出は正しく糠米2斛1斗9升6合分である。
67行は、逆方向に、上野国(群馬県)へ下る父馬(種馬)。良い馬は東国が産地のはずだが、西国の良馬を東国に送るのか。あるいは65行の御馬のようにいったん東国から来た馬を戻すのか、よくわからない。父馬へは秣(まぐさ)支給である。費用は1日1匹あたり1束2把5分。計算すると御馬は1日1匹あたり3束5分だから、その半分以下の待遇である。
食費だけではない。上下の違いはあるが、同じ道を御馬はゆったりと3日でお通りなのに、父馬は2日で通過である。
なおこれに関わって馬を運ぶ人間の記事は、ここには無い。人間への食料支給記事は、正税帳では別項目であり、この帳では欠損した部分に書いてあったのだろう。
雨具を着た馬
悪天候に備え、馬簑(茎や葉を編んで作った雨具)を着た馬もいた。馬簑があるのは、現存正税帳では、この尾張帳だけである。
36 年料馬簑弐拾領直稲捌拾束〈領別四束〉
45 依官符交易馬簑参拾伍領 直稲壱伯肆拾束〈領別四束〉
104 依符交易馬簑価弐拾束
36と45は首部(尾張国の合計)、104は海部郡である。「年料」(毎年の定例)として20領を進上するのに加えて、とくに太政官符で、35領の交易(購入)しての進上が命じられた。海部郡は5領だから、この支出はほぼ全郡に割り振ったのだろう。
人間の使う蓑は絵もあり実物も民俗資料として残っているが、馬簑は現存しないようである。
売却された不用馬
老いた馬はどうなったのか。次のような記事もある。
92 売不用伝馬壱拾壱匹 直稲伍伯陸拾束
93 〈一十匹別五十束、一匹六十束〉
94 死馬皮壱拾張 直稲壱伯伍拾束〈張別十五束〉
原則として各郡に5匹ずつ伝馬を置いて、急ぎではない公的旅行者が利用した。つまりヨボヨボの伝馬なら、利用者(ほとんどは現場の伝馬管理者よりエライ)から叱られる。老・病のため乗用に堪えない伝馬は売却し、買換え費に加えた。「不用」なので売るというのは、明快だが厳しい表現である。買われた先で平穏な余生だったとは思えない。
死んだ伝馬については、その皮を売却する。文言はそうなっている。しかし死馬から皮を剥ぎ取って皮だけを売る、といったことはやらなかっただろう。死馬を(あるいは生きている馬を)丸ごと売り払い、買った者は、皮・肉・骨・毛それぞれに利用する。他の正税帳では 張別10束である。尾張産馬皮は上質だったのだろうか。
なお尾張国8郡の伝馬総数は40匹だったはずである。1年間で21匹を交換するというのは、(馬にとって)苛酷な職場である。
以上、結局尾張国正税帳だけになってしまった。正税帳には個性があり、他帳にもまたそれぞれ個性的な、馬の記事があるので、ぜひ本書『翻刻・影印 天平諸国正税帳』を読んで、古代の馬の多様な世界を堪能してもらいたい。
なお、これまでのコラムにかかわる出版物、榎英一著『正税帳読解』が八木書店より2026年1月に刊行される。ぜひご一読いただきたい。
【今回の八木書店の本】『翻刻・影印 天平諸国正税帳』
長らく品切で、復刊が期待されていた林陸朗・鈴木靖民編『復元 天平諸国正税帳』(1985年、現代思潮社)を全面改訂。
【編者】鈴木靖民・佐藤長門/【執筆者】荒井秀規・榎 英一・早川万年・山﨑雅稔
本体15,000円+税
初版発行:2024年11月1日
A5判・上製・函入・2分冊・546頁+カラー口絵4頁
ISBN 978-4-8406-2267-7 C3021
〔書き手〕
榎 英一(えのきえいいち)
元学芸員、教員。日本古代史。

〔主な著作〕
訳注日本史料『延喜式 中(主税式)』(共著、集英社、2007年)
『律令交通の制度と実態―正税帳を中心に―』(塙書房、2020 年)
『翻刻・影印 天平諸国正税帳』(共著、八木書店、2024年)


