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会計報告書が語る古代の社会

防人の帰郷の旅【会計報告書が語る古代の社会 2】

奈良時代の正倉院文書に国ごとの会計の収支決算報告書「正税帳」が27通現存する。それを読み解くと、当時の地方財政・特産物・交通手段・産業、さらにはパンデミックによる救済措置・被害状況までが見えてきた。

奈良時代、遠い九州で国を守った防人たちが故郷へ帰る旅はどのようなものだったのか。「正税帳」には、彼らが故郷へ帰る道中、各地で食料をもらった記録が残っている。陸路で何日も歩き、海路では大勢で船に乗った様子や、中には逃亡して捕らえられた防人の記録もある。本書は、正史には記されない彼らの旅の苦労やドラマを詳細に描く。

駿河国正税帳

天平9年(737)、筑紫(九州)にいる防人を停めて本郷に帰すことになった(続日本紀)。実際に帰郷するのは、翌10年である。同年駿河国正税帳には、帰郷する防人たちへの食料支給記事がある。分かりやすく表記する(行頭の数字は行数番号、〈 〉内は二行書き)。

79  旧防人伊豆国22人、甲斐国39人、相摸国230人、安房国33人、
上総国223人、下総国270人、常陸国265人、合1082人
六郡別半日食、為単3246日〈上〉

1日2食だから、1食は半日食。駿河国(静岡県東部)を横断するのに、6郡で1食ずつ食べて、3日かかる。単(のべ)3246日食が、駿河国の支出である。「上」は、食料支給基準が「上」という注記である。お供などは「下」であるから、庶民出身の防人としては優遇である。

この一行は、遠江国(静岡県西部)から来た。部領使というのは、引率というか護送というか、その指揮官であるが、お供を連れた遠江国少掾と史生である。

27  旧防人部領使遠江国少掾正六位下高橋朝臣国足〈上一口、従二口〉 三郡別一日食
29  防人部領使史生従八位上日置造石足〈上一口、従一口〉 三郡別一日食

彼らは駿河国に入って3郡で1食ずつ食べて、その先の国府で防人たちを当駿河国官人に引き渡し、また3郡で1食ずつ食べて帰国した。「三郡別一日食」はこの意味である。護送のための兵士が何人も同行したはずだが、兵士は自腹であるから正税帳には現れない。
そして国府からは、当国国司が引き継ぐ。公務出張だから食料が出る。

30  当国防人部領使史生従八位上岸田朝臣継手〈上一口、従一口〉三郡別一日食
32  防人部領安倍団少毅従八位上有度部黒背〈上一口、従一口〉三郡別一日食

具体的に考えると、わからないことがある。防人に当駿河国出身者はいなかったのか(万葉集によると、存在していた)。正税帳の国司着任記事などの例によれば、彼らは「三郡別半日食」、すなわち国府まで来て、そこで解散のはずである。

また、遠江国から駿河国までは道は1本である。しかし駿河国からは、伊豆国(静岡県伊豆半島)・甲斐国(山梨県)・相摸国(神奈川県)の3国に道は分かれる。当国の二人の部領使は、どのように職務を分担したのか。

周防国正税帳

天平10年周防国正税帳には、3組に分かれて同国を船で通過した防人の記事がある。その中般(2組目)は、次の記事である(数字表記、改行などは改めた)。

178  中般防人953人、二日半料穎稲961束
180  食料953束、人別日4把
181  塩4斗7升6合5勺、人別日2勺、直稲8束
182  右依部領使正六位下上道臣千代、去天平十年五月八日牒、供給如件

船が何艘かはわからないが、官人と船員を合わせると千人近い。それが周防国の沿岸を通って難波津へ向かった。穎稲(穂首で切った稲)4把は、米にすると2升。当時の升は現代の半分弱である。1日2食だから、1食に米を(現代の単位で)5合食べる計算である。とはいえ、船旅の途中で稲を受け取って、船上でついて米にして、とはいかないだろう。稲や塩は食料費算出基準であって、実際にはそれに相当する米や副食物などを受け取ったはずである。それを請求する「五月八日牒」は、周防国の港に着いてから書いたのか。「二日半」とは、周防国通過予定日数なのか、次の港までなのか、わからないことは多い。

なお全3組で1877人である。これ以外にも帰郷した防人はいたようである。駿河国通過は1082人だから、残る800人余は、遠江・駿河両国と東山道諸国へ帰郷したのだろう。
この帳には今一つ、次のような旧防人(逃亡して捉えられた)の記事がある。旧防人の四日食は片道であり、往来八日食の部領使は年内に戻っている。

87  (十二月)廿日向京〈従大宰府捉進上旧防人二人、四日食〉
88   部領使 〈長門国豊浦団五十長凡海部我妋、往来八日食〉

筑後国正税帳

天平10年度の筑後国正税帳にも、帰郷する防人の記事がある。難波津への途中、備前児島(岡山県倉敷市)までの食料である。1人1日4把なら387人分である。それと水手(船員)の食稲(実際は功賃だろう)を支出している。

9    依 勅還郷防人、起筑紫大津、迄備前児島十箇日、粮舂稲壱仟伍伯肆拾捌束
11  料水手弐人食稲捌拾束

【今回の八木書店の本】『翻刻・影印 天平諸国正税帳』

・PDF試し読み

長らく品切で、復刊が期待されていた林陸朗・鈴木靖民編『復元 天平諸国正税帳』(1985年、現代思潮社)を全面改訂。

【編者】鈴木靖民・佐藤長門/【執筆者】荒井秀規・榎 英一・早川万年・山﨑雅稔
本体15,000円+税
初版発行:2024年11月1日
A5判・上製・函入・2分冊・546頁+カラー口絵4頁
ISBN 978-4-8406-2267-7 C3021


〔書き手〕

榎 英一(えのきえいいち)
元学芸員、教員。日本古代史。

〔主な著作〕

訳注日本史料『延喜式 中(主税式)』(共著、集英社、2007年)
『律令交通の制度と実態―正税帳を中心に―』(塙書房、2020 年)
『翻刻・影印 天平諸国正税帳』(共著、八木書店、2024年)

翻刻・影印 天平諸国正税帳