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出版部

海外のキリシタン史料を読むために 高瀬弘一郎(慶應義塾大学名誉教授)

キリシタン史に不可欠の海外史料

キリシタン史は日本史でありながら、研究の史料は主として海外の教会史料に依存しなければならないという特異性がある。国内史料もあるが、それのみに拠ってキリシタン史を研究しようとすると、研究対象が著しく偏ってしまい、その全貌を見通すのは不可能だと言っても過言ではない。

わが国における海外教会史料の調査研究は、村上直次郎氏(1868年〔慶応4年〕~1966年〔昭和41年〕)と岡本良知氏(1900年〔明治33年〕~1972年〔昭和47年〕)の両人によって切り拓かれた。マイクロフィルムも存在しない時代に、海外の文書館で膨大な文書群に埋もれて史料調査をして、必要な文書を筆写して将来するのはどういうことか、その体験をしたことのない者にはなかなか理解できない。実は岡本氏の論著には、引用史料等に小さなミスが少なくない。今日では疑問が生じたら手元のマイクロフィルムや、在京諸機関に出かけて複製写真を見て確認することが容易にできる、まるで天地の差異がある研究環境の中に身を置いていることをつい忘れて、先人の些細なミスを見つけて小さな優越感に浸る愚を犯しがちである。

欧文の教会史料の邦訳紹介は、村上直次郎氏によって始められた。『耶蘇会士日本通信』等の一連の氏の訳業は、戦前から戦後にかけて永い間キリシタン史研究の史料としてどれ程利用されたか。そのキリシタン史研究への貢献の程度はまことに計り知れないものがある。同類の史料邦訳として、松田毅一氏監訳『十六・七世紀イエズス会日本報告集』15巻(多くの語学者による共同作業)が1987年~98年に出版されてからは、こちらが利用されることが多くなった。村上氏の訳書から松田氏を代表とする訳書に徐々に利用が移ったのは理解できることであるが、そのいずれもが翻刻された文書集からの邦訳であるという共通性を持つ。

さらにいえば、その底本となり翻刻された文書集は、いささか安易な編集による書籍であって、もともと歴史研究のための史料集を作ることを意図していたのか疑わしい。松田氏監訳の同書は、底本にはこのような問題点があるし、15巻の大冊ではあるが、伝存する文書全体から見れば僅かである。キリシタン史研究を前に進めるためには、オリジナル史料へのアクセスについて、真剣に考える必要がありはしないか。