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奈良絵本・絵巻の研究と収集(石川透)

奈良絵本・絵巻の研究と収集(81) ー異国物語屏風ー

 


前回に引き続き、『異国物語』を取り上げるが、今回の写真は屏風の『異国物語』である。その前に、『異国物語』を含む、浅井了意が執筆した奈良絵本・絵巻類について、続きを記したい。

奈良絵本・絵巻を研究するに当たり、その本文の筆跡の分類を行ってきたのだが、その過程で浅井了意の筆跡の奈良絵本・絵巻があることに気付いた。最初の比較の対象は、浅井了意の遺作である版本『狗張子』であった。『狗張子』には、二つの序文があり、最初に出てくる林義端の序文に、本書が浅井了意の遺作であることと、了意の筆跡を残して出版したことが記されている。

義端の序文の記述により、『狗張子』の本文は了意の自筆版下として知られるようになった。江戸時代から、この『狗張子』と同筆の了意作品が指摘されるようになり、私がこの研究を始めた頃には計十三点の,了意自筆版下の作品群がリストアップされていた。これらの自筆版下とされる版本群を見ると、状況はさまざまで、その本全てが同筆である、というわけではない。本によっては、序文だけが自筆版下であったり、巻によって、自筆の部分と他の筆耕の部分とに別れたりする作品もある。

そもそも、『狗張子』自体が、その全七巻をよく調べると、本文の巻一から巻六と、巻七の本文の筆跡が異なっているのである。その巻七の筆跡は、林義端の序文と全体目次の筆跡と一致している。義端は、細かい事情を書いていないのであるが、この『狗張子』の筆跡状況から、以下のことが推測できる。まず、浅井了意は、『狗張子』全七巻の下書きを全て執筆し終わった。その後、本作については、了意自身が版下(清書原稿)を執筆することになり(普通の作家であれば、自分以外の筆耕に依頼する)、その清書を巻一から始めた。しかし、巻六まで清書し終わった時点で、書けない状態になり、やがて死んでしまった。巻七だけ清書が無い状況で、出版社側であった林義端は、残された巻七と、その過程を記した序文、さらには、全体の目次を、他の筆耕に清書させて完成させ、出版した、ということである。

『狗張子』の序文を疑う研究者が存在することは、後になって知ることになったのだが、義端が記していない、この巻七の筆跡のことを考えるならば、嘘であるとは考えにくい。以上のように、了意の自筆版下を検証するさいには、『狗張子』の巻一から巻六までの筆跡を比較しなければならないのである。

そのような観点から、了意の自筆版下を探すと、『難波物語』(一六五五年刊)も同筆であり、この作品の研究史を調べると、その内容が浅井了意の作品と似ている、との指摘もあり、おそらくは、了意が内容を作り、清書も行った自筆版下であると考えられる。『難波物語』は、遊女評判記の初期作品とされるような内容である。了意は、後に地誌に分類されるような作品群を次々と出版するが、そのルポライター的な姿が、この『難波物語』には窺える。しかも、明暦元年(一六五五年)は、了意の自筆版下としては、年代が明らかな作品の最古作品である。

私が最初に発表したのは、これらの了意の自筆版下群の筆跡と奈良絵本・絵巻類の一部の作品群の筆跡が一致するというものであった。その後、了意の署名のある自筆資料も判明し、この説は動かしがたいものとなった。特に、豪華写本である『源平盛衰記』四十九冊は、今後は了意の平仮名研究の基本となるものである。『源平盛衰記』には、明暦元年(一六五五年)に、「洛下野父羊岐齋幸庵処し」が書いた、と記されており、浅井了意の名前は無い。しかし、だいたいこの時点では了意とは名乗っていなかった。

この奥書にある「羊岐齋」という珍しい号は、了意が内容を作った『伊勢物語抒海』(版本の筆耕は別人)という『伊勢物語』の注釈書の奥書に登場する。『伊勢物語抒海』では、「洛下野父羊岐齋松雲処」が記したとあり、書き方自体が酷似する。その頃は、了意は「松雲」と名乗ることが多く、「幸庵」という名前は他に見付からないが、偶然でこのような一致はありえないので、『源平盛衰記』は浅井了意の筆で間違いないのである。

『源平盛衰記』や他に写した奈良絵本・絵巻類には、既に存在した作品が多いこと、版本の世界においては、自筆版下とされる作品以外にこの筆跡が出てこないこと、を考え合わせると、了意は奈良絵本・絵巻を含む豪華写本の筆耕であって、版本専門の筆耕ではなかったことが分かる。おそらくは、豪華写本の筆耕をしていて、後に創作へ進み、版本を多く作り上げたと考えられる。その版本については、自分で創作した作品の半分くらいは、自分で清書していたようである。

ただし、この時間の流れは、資料から見ると簡単な話ではなく、了意は版本の創作をし始めてからも、多くの奈良絵本・絵巻類の本文を執筆していたと考えている。活動の初期と思われる一六五五年には、『伊勢物語抒海』と『難波物語』といった版本群の創作と一部の清書を行い、『源平盛衰記』の清書を行っていたのである。

その後の大量の仮名草子作品群を創作していた時期にも、豪華写本の筆耕も行っていた、ということは、版本に自筆版下があるように、豪華写本類にも、自ら創作した作品を清書した例がある、と考えられる。

そこで、浅井了意が本文を記した奈良絵本・絵巻類の作品群を並べてみると、他の筆耕には見られない特徴が出てくるのである。それは、それまでに作られていた作品以外の、珍しい新しく創作されたと考えられる作品が多く存在することである。簡単に言えば、朝倉重賢や居初つなの奈良絵本・絵巻には、一般的な作品が多く、その本文系統も差は無い。ところが、浅井了意が清書した奈良絵本・絵巻には、それまで存在しなかった作品が圧倒的に多い。しかも、『大黒舞』絵巻を二種類書いているのだが、その本文系統が異なるのである。これは、やはり了意の筆跡が二つある『長恨歌』についても同様で、系統が異なっている。おそらくは、了意は、平気で本文を変えてしまうのである。もちろん、これは、たぐいまれな創作力がなければできることではない。

実は、一六六-〇年後前後には、了意をめぐるおもしろい事件が起きている。それは、鈴木正三が内容を作った『因果物語』を、了意が勝手に平仮名にして出版し、それに対して嘘が書き加えられているとして、正三の愛弟子達が正しい『因果物語』を片仮名本で出版しているのである。これだけでも、了意の書き変え癖が理解できる。前回写真を掲載した『異国物語』はまさに、そのような書き変えてしまった作品であると考えている。

今回の写真は『異国物語』屏風である。本来は本文も備えた絵巻であったと思われるが、、絵しか残っていない。胸に穴が開いた人物を運ぶ姿等、明らかにお『異国物語』と同様な絵が多いのであるが、よく見ると、小さな子供達が多く登場するように、ストーリー性があると考えられ、『異国物語』から派生した、新たな物語絵巻であったと思っている。


〔書き手〕

石川 透(いしかわ とおる)
1959年、栃木県足利市生まれ。
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
慶應義塾大学文学部名誉教授(国文学)。

〔主な著作〕

『慶應義塾大学図書館蔵 図解御伽草子』(慶應義塾大学出版会、2003年)
『奈良絵本・絵巻の生成』(三弥井書店、2003年)
『奈良絵本・絵巻の展開』(三弥井書店、2009年)
『入門 奈良絵本・絵巻』(思文閣出版、2010年)

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