観客の目線と感動を求めて(桜美林大学教授 法月敏彦)
2.資料そのものから、資料に関わる人々へ
このようにして始まった筆者の研究は、勤め先の大学における近代劇、ミュージカル、現代劇を中心とする演劇実習の演出という仕事に忙殺される日々の中で、自分自身の中では全く別の研究領域として認識していました。さらに国立劇場芸能調査室で『近代歌舞伎年表 大阪篇』の資料整理を手伝うようになってからは、一時期ですが、演出、浄瑠璃作品研究、近代歌舞伎研究の三者を別の研究領域として認識していました。また、岩波書店の『歌舞伎評判記集成 第二期』や『学海日録』の翻刻に参加させていただいた頃は、これらも筆者の研究領域に新しく追加された要素、別々のものとして認識していました。
このような認識に変化が起こってきたのは、毎週、横浜野毛山の松崎仁先生のお宅で行われた『学海日録』翻刻の研究会で親しく交流させていただいた渡辺憲司先生、白石良夫先生と3人で東京書籍から1993年に『江戸のノンフィクション』を出版した時です。『学海日録』翻刻で得た筆者最大の収穫は、依田学海という「人の研究」ですが、その延長線上に江戸時代の芝居見物、浄瑠璃太夫、好事家などの「人」を中心にした文章を綴りました。これが認識変化の最初の一歩です。
ちょうど『江戸のノンフィクション』が出版された1993年、研究休暇(サバティカル)でロンドンにいた筆者は、大英図書館で多数の未知の和書と出会いました。南方熊楠と思しき筆跡のあるダグラス目録『Catalogue of Japanese printed books and manuscripts in the library of the British Museum』の原本を繙きながら19世紀末の人々を空想する日々を過ごしました。この時の感覚は、それ以前の1988年夏、ボストン美術館とハーバード燕京図書館で歌舞伎番付や日本演劇資料を調査した時の関根只誠に対する感覚と似ていましたが、筆者の興味が資料そのものから、その資料を扱った人々、その資料の元になった人々、という具合に興味の焦点が変化しました。これが認識変化の二歩目です。