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出版部

観客の目線と感動を求めて(桜美林大学教授 法月敏彦)

1.「観客の目線と感動」

この度、長年の夢であった論文集『演劇研究の核心 ―人形浄瑠璃・歌舞伎から現代演劇―』を出版していただけることになりました。この本は、2017年3月に定年退職した玉川大学勤務40年間の研究成果をまとめたものです。

その要点は「観客の目線と感動」という言葉に集約できると思います。観客は演劇というものに何を見てきたのか、何に感動したのかという意味です。

一般的な演劇研究というものは、どちらかといえば演劇の作り手、例えば、作品(本)、俳優(役者)、劇作家(作者)、演出家などの研究が主流です。筆者の研究も、大学時代の説経節『しんとく丸』、大学院時代の『浄瑠璃物語』などの作品研究から始まりました。

しかしある時、ふと、様々な研究書に些細な欠落と思われる点があることに気づきました。小さな違和感と言ってもいいでしょう。それは、作品そのものの研究に、その作品を実際に見た人々つまり観客の感動が含まれているのだろうか、という素朴な疑問でした。例えば、関西の具体的な地名が頻出する『しんとく丸』の語りを聴き、その人形芝居を観た別の地域の人々は、関西の具体的な地名に何を感じることができたのであろうか、あるいは、その『しんとく丸』が出版されるほど人気を博した本当の理由はなんだったのか、という素朴な疑問です。こういうことは、研究の前提として当然承知されてしかるべき暗黙の了解の事柄であるかもしれませんが、初学の筆者にとっては疑問でした。

このような疑問は、人形浄瑠璃の名称の起源となった『浄瑠璃物語』の研究に及んで更に膨らんでいきました。この作品に感じられた今日的意味でのドラマは、いわばシェイクスピア作『ロミオとジュリエット』のような恋、離別、死だと受けとめていました。しかし、どうやら『浄瑠璃物語』の主題はそういう西欧的なドラマではなく、延々と繰り返される景観描写や大和言葉のやりとりなどのいわば源氏物語や平家物語の擬古典的表現に重点が置かれていると考えられるのです。また、現代では再現不可能でしょうが、その語りという音楽性の新しさにあったのではないか、つまり、ドラマそのものではなく、そういう趣向や音曲の新しさに聴衆・観客が魅了された結果、『浄瑠璃物語』が人形浄瑠璃の名称起源となったのではないだろうかと考え始めたのです。