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コラム

聖徳太子はいつ生まれたか、Web版群書類従で調べる:田中智子・中古文学

検索ワードに注意!

ただし、上記の検索法によって、当該の逸話を載せる文献のすべてを網羅できたとは限らない。というのも、「聖徳太子」については「上宮太子」などの別称が用いられている可能性があるうえ、12か月を意味する語として「十二月」以外に「十二ケ月」「十二箇月」「十有二月」などの表記・言い回しが用いられている可能性もあるからである。この点には充分な注意が必要で、見落としのないよう、様々なワードで検索をかけてみなければならないだろう。

 

そこでいくつかのワードの組み合わせを試してみたところ、更に以下のような文献がみつかった。

◇検索ワード 〈太子 or 厩 and 十二ケ月〉

⑤当知上宮太子降誕吾国……欽明天皇三十二年辛卯正月朔甲子夜。妃夢有金色僧……始知有脤也。敏達天皇元年壬辰正月一日。至下。不覚有産。惣経十二ケ月而已。

(『東大寺八幡験記』p232(『続群書類従3上 神祇部64』))

 

◇検索ワード 〈太子 or 厩 and 十二箇月〉

⑥后夢有金色僧……自此以後始知有脤(〔娠歟〕)。経十二箇月。后巡宮中。至于下。不覚有産。

(『上宮聖徳太子伝補闕記』p335『群書類従5 伝部1』)

⑦元年壬辰春正月一日。妃巡第((宮イ))中。至于下。不覚有産。惣経一十二箇月矣。入胎正月一日。開誕亦正月一日。

(『聖徳太子伝暦 上』p3(『続群書類従8上 伝部1』))

 

聖徳太子はいつ生まれたのか

以上、聖徳太子の母が12か月の妊娠期間を経て太子を出産した(ただし②のみ13か月とする)との逸話に関する記述が、合わせて7件みつかった。興味深いのは、①~⑦を見比べると、受胎と出産の年月日が文献ごとに異なっていることである。

紙幅の都合上詳述は避けるが、⑦の『聖徳太子伝暦』が「古い太子伝の中で最も整備されたもので、後世の太子伝には、これを史料あるいは典拠としたものがすこぶる多い」(Web版群書類従の書誌情報)ことや、⑥を除く他の文献は成立年代が下ること(各文献の成立年もWeb版群書類従の書誌情報から参照可能)を勘案すれば、受胎を欽明天皇32年正月1日、出産を敏達天皇元年正月1日とする⑦や⑤の記述が比較的古い時代の伝承を留めるものと考えられる。

 

ただし、上記の伝承はいずれも、史実としての聖徳太子の生年月日とは一致しないようである。「ナレッジサーチャー」(群書類従のテキストをドラッグすれば、ジャパンナレッジ所載の辞書等の記述を即座に参照できる機能。これも最近知ったのだが、本当に便利なのでぜひ多くの人にご活用いただきたい)を利用して『国史大辞典』の「聖徳太子」の項目(坂本太郎執筆)を参照すると、

太子の生誕の年については古来諸説があるが、没年が推古天皇三十年二月二十二日というのは……動かしがたく、享年四十九に疑わしいところはないので、それから逆算して敏達天皇三年をとるのが定説である

と指摘されているが、そうだとすれば、聖徳太子の生年を敏達天皇元年とする③・⑤・⑦も、2年とする②・④も、共に史実とは異なる記述ということになる。正月1日に生まれたとの記述も史実に基づくものではないと思われる。おそらくは、聖徳太子のような偉人にいかにもふさわしい生誕の月日として、このような伝承が生じたものではなかろうか(なお、聖徳太子の生年に関しては『扶桑略記』、『本朝皇胤紹運録』、『上宮聖徳法王帝説』他にも記載があるが、ここでは割愛する)。

<ナレッジサーチャーの使用例>

①調べたい語を検索

②資料の詳細を表示

 

 

③テキスト欄を表示

 

 

 

 

④検索メニューからナレッジサーチャー(Knowledge Searcher)を選択

⑤テキストから知りたい語をドラッグして検索