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コラム

聖徳太子はいつ生まれたか、Web版群書類従で調べる:田中智子・中古文学

Web版群書類従について

『群書類従』の版木が完成したのは文政2年(1819)のことである。爾来約200年の間、『群書類従』は文学・歴史学など様々な研究分野に多大な影響を及ぼし続けてきた。

 

更に、2014年10月にWeb版のサービスが始まったことで、『群書類従』利用の利便性は飛躍的に高まったといえるだろう。

なかでも、全文を横断検索できるようになったことと、自宅や喫茶店などどんな場所でも群書類従を利用できるようになったことの二点がもたらした便益は大きい。本コラムではこのうち特に前者の、全文検索の活用法に関して、一利用者の声をお伝えしたい。

 

 

今回の調査のテーマ

今回調べたのは、聖徳太子(厩戸皇子とも)の母穴穂部間人皇女が、「12か月もの妊娠期間を経て太子を出産した」との逸話がどのような文献にみえるかについてである。以前聖徳太子に関する本を読んだ際に当該の逸話を知り、「この話の典拠はどこにあるのだろうか」との素朴な疑問を抱いたことがテーマ設定のきっかけとなった。

 

and・or・not検索の活用

「聖徳太子の母が妊娠12か月で太子を出産した話」のような複雑な記述を探し出すには、「詳細(個別)検索」で、and・or・not検索の機能を活用する必要があろう。その際、どのような検索ワードを組み合わせて入力するかが勘所となるが、ひとまず〈聖徳太子 or 厩戸皇子〉で検索してみたところ、220件もの結果がヒットした。220件すべてに目を通すのは容易でないので、もう少し絞り込みをかけたいところである。そこで、「聖徳太子」または「厩戸皇子」に加えて、「十二月」の語が共に用いられている記述を探してみることにした。

ここで、検索の際のちょっとしたテクニックをご披露したい(実際には「テクニック」というほどのものでもないのだが、恥ずかしながら稿者は、最近までこの検索方法を知らなかった)。

このような検索を行う場合、今まで稿者は、まず〈聖徳太子 and 十二月〉と検索し、その後一度検索結果をリセットして新たに〈厩戸皇子 and 十二月〉と検索してきたのだが、〈聖徳太子 or 厩戸皇子 and 十二月〉と検索をかければ、なんと両者の検索結果を一度に合わせみることができるのである。検索を二度行う手間が省けるうえ、用例の分布の全体像を概観できて大変便利だ。

 

さて、上記のように検索をかけたところ、検索結果は37件であった。そのうち、当該の逸話に関する記述を有する文献は以下の4つである。

 

①南岳大師。聖徳太子。弘法大師。此三人権者経十二月有御誕生。

(『八幡愚童訓 類従本』p397(『群書類従1 神祇部13』))

②敏達元年正月晦日夜金色聖僧来……飛入后御口夢御覧而懐妊御坐……十二月不生……十三月申敏達二年正月一日。后厩戸頭有御出。不覚太子御誕生成給。即号聖徳太子

(『善光寺縁起』p156(『続群書類従28上 釈家部99』))

③元年正月一日聖徳太子生給……御母宮中ヲ遊歩ヒ給ヒシニ。御厩ノ前ニテ聊覚サセ給事モナクテ俄生サセ給ヒシ也。十二月成ラセ賜ケル。

(『神明鏡 上』p105(『続群書類従29上 雑部2』))

④此帝御宇二年癸巳正月朔日聖徳太子御誕生……正月朔日母后仮染ニ廐ニ至リ給ニ覚ス而御誕生……此ニ至テ十二月也。

(『神皇正統録』p13(『続群書類従29上 雑部1』))