オールカラーの『源氏物語』―尾州家河内本と池田本―(宮川葉子・日本古典文学)
●オールカラーならではのわくわく感
ところで、海外からの研究者が3人いるこの同好会。彼らが、判じ物とも映りかねない写本を読了し、次は池田本だと胸を弾ませているところにあるのは何か。
彼らが最初にオールカラーの『尾州家河内本 源氏物語』を手に取った時、異口同音に言ったのが、「なんと豪華で美しい日本文化。この重要文化財を自分のものとして身近に置けるとは」という感動であった。そして絵本を見るように一頁一頁見入っていた。彼らの能力が極めて高く、古典籍を読み解く素質は十分にあったにせよ、変体仮名を解読してゆけたのは、絵の中の葦手(葦手書き。装飾文様の一種。文字を絵画的に変形し、葦・水鳥・岩などになぞらえて書いたもの。『源氏物語』では、梅枝巻で源氏が「葦手歌絵を、思ひ思ひに書け」と内廷達にオーダー。明石姫君入内の準備のためであった)を解読してゆくような、ある種の楽しさがあったからのようである。
エクステンション受講者の社会人2人についても報告しておきたい。3人のうち1人は、家庭の都合で退会したことは既に述べたが、残る2人はどこまでも食いついて来た。世間で言うハイソな奥様方で、『源氏物語』に関することなら何でも読み、聞き、見て、参加してと、あらゆる機会を活用し、『源氏物語』に密着している。エクステンションへの参加もその一環であった。ところが、方々を尋ねまわっても、『源氏物語』を写本で読むという講座はない。たまたま私の受講生であった縁で、「河内本源氏物語を読む会」に参加して来た次第であった。もともと、変体仮名へのたしなみもあり、輪読してゆくのに不都合はなかった――かに見えた。しかし、後で聞くと、研究者の方々ばかりの中で、足を引っ張ったらどうしようと、毎度胃が痛くなるほど準備したとのこと。
2013年秋、名古屋市蓬左文庫所蔵『尾州家河内本源氏物語』の特別展が、德川美術館で開催された折には出向き、実物を目にとどめることも、岡嶌氏の記念講演「『尾州家河内本源氏物語』について」(2013/11/30)への出席も欠かさなかった。興奮気味で帰宅し、テキストを開くと、先ほど名古屋で目に焼き付けてきた、まさにその本文が目の前にあるではないか。名古屋往復の恵みとばかり、押さえられない感動をもって本文を読み始めたら、ガラス越しの河内本がオーバーラップ。本物とふれあう喜びがわき上がってきて、急に読みやすくなっていたとのこと。そして全巻読了の折には、「あまりの感動に虚脱感に襲われました。あれがカラーでなかったら、身近には感じられず途中で投げ出していたことでしょう」と、この思いを無駄にしたくないと、池田本にも挑戦の構えである。
画素の粗い白黒での影印がそこにあっても、わくわく感は醸し出せない。絵画のように見えるカラー写真の向こうから語りかけて来るものを、国籍・男女・職業・年齢に関係なく感じとり、次第次第に解読への喜びが重なっていったのである。オールカラーの思わぬ効果であった。
ただ、オールカラー影印はどうしても高価になりがちである。池田本も、本体が1冊宛3万4千円。それに税金。全10冊。決して安いとは言えない。しかし、何をもって高い安いを判断するかとなると難しい。白黒影印との差は歴然としており、紙質まで分からせてくれる細かい画質と、限りなく本物に近い朱墨の風合は、実物以上かもしれない――、それを一概に高いと切り捨ててしまえるであろうか。
確かに3万4千円は安くはない。隔月配本であるから、1月に1万7千円プラス税金。1日あたり約600円の負担ということになる。では600円でどんな文化が入手可能であろうか。近年は博物館なども、特別展となるとかなり高く、多くが1200~1300円は下らない。600円の2倍は請求されるのである。足を運ぶ費用も体力も気力もいる。
それに対し、手元において自分専用で本物を楽しめる、それが600円ではないだろうか、と私達「河内本源氏物語を読む会」の面々は考え、池田本を入手することにした。そして本年4月から「池田本源氏物語を読む会」と名称を変更し、池田本を読み始める。
メンバーは今のところ海外の研究者3人と日本人の研究者1人、社会人2人、同僚1人と私の8人編成は変わらない。そうそう、同僚はコンピューターを駆使しての統計学などを専門としているから、河内本を読む中で、他の写本や、定家筆の『源氏物語』以外の筆をも分析、従来、定家筆と言われて来たものへの疑問を呈するなど視野を拡げ、写本間の遠近を数値に置き換える研究へと一歩を踏み出している。
本年のうちに、全巻が配本される予定の池田本。「河内本源氏物語を読む会」で注いだ読了に到る6年間のエネルギーを、再び「池田本源氏物語を読む会」に発揮し、青表紙本と河内本の善本同士の比較という視点を持ちつつ輪読してゆきたいと思っているところである。
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1971年 青山学院大学 文学部 日本文学科 卒業
1983年 青山学院大学大学院 文学研究科(日本文学・日本語) 博士課程 単位取得満期退学
博士(文学)
現職:淑徳大学国際コミュニケーション学部教授
専門分野:中古文学、特に『源氏物語』の中世・近世の受容
〔主な著書〕
『源氏物語の文化史的研究』(風間書房、1997年)
『三条西実隆と古典学〔改訂新版〕』(風間書房、1999年)
『貴重典籍叢書文学篇十九巻 物語(四)』(臨川書店、2000年)
『柳沢家の古典学(上)――『松陰日記』――』(新典社、2007年)
『源氏物語受容の諸相』(青簡舎、2011年)
『柳沢家の古典学(下)――文学の諸相と環境――』(青簡舎、2012年)
『楽只堂年録』 第1~5(八木書店、2011~2016年)