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コラム

『近代歌舞伎年表』と国立劇場開場50周年(玉川大学 法月敏彦)

はしがき

先日、2016年9月28日、独立行政法人日本芸術文化振興会国立劇場(以下、国立劇場)では、皇太子殿下同妃殿下のご来臨を賜り、盛大に「国立劇場開場50周年記念式典」が挙行された。

国立劇場は、1956年の文化財保護委員会(文化庁の前身)による設立基本方針の答申を経て64年8月に起工。66年7月の国立劇場法の施行を経て、同年10月に竣工し、11月1日に開場した。

国立劇場の事業目的は、伝統芸能に限定した場合、その主なものは以下のとおりである。

① 伝統芸能の保存、振興、公開
② 伝承者の養成
③ 調査研究ならびに資料収集および活用

八木書店刊『近代歌舞伎年表』は73年から開始された編纂事業で、③調査研究の最重要事業であり、86年3月刊行開始の大阪篇(全9巻10冊)、京都篇(全10巻+別巻)の既刊を経て、現在、名古屋篇(全17巻+別巻予定)が刊行されている。

『近代歌舞伎年表 大阪篇』の刊行予定が立っていなかった頃から、たまたま私は、その調査、研究、編集、出版の末席を汚させていただいた経歴があるので、開場50周年の折、本書に関する拙文をこのコラムとして掲載させていただけることになった。

なお、国立劇場開場50周年に合わせて歌舞伎学会が機関誌『歌舞伎 研究と批評』57(2016年9月20日発行)で「特集-国立劇場の半世紀」を組んだ。しかし、編集の焦点が、①「公開」(研究上演)と②「養成」の事業に特化されたので、もうひとつの重要な事業、国立劇場の三本柱のひとつである研究上演の前提となる③「調査」に関しては記述がほとんどなかった。この拙文が多少なりとも補足になろうかと思われる。

 

『近代歌舞伎年表 大阪篇』の経緯

以下の文章は、以前『館報 池田文庫 No.33』(財団法人阪急学園池田文庫、2008年10月)に掲載した拙稿「『技芸新報』と『近代歌舞伎年表 大阪篇』」の記述と多少重複する点もあるので、お許し願いたい。

国立劇場の、旧称「芸能調査室」(以下「調査室」と略称。現在の独立行政法人日本芸術文化振興会・伝統芸能情報館内、国立劇場調査養成部調査記録課)が明治以後の歌舞伎を中心とする年表作製に着手したのは、おそらく実質的には、旧・国立劇場法が66年に成立する以前からであったと思われるが、実際には73年度から予算がついた編纂事業である。

私が『年表』編纂のお手伝いに毎週通うようになったのは79年頃、つまり国立劇場開場13年後のことなので、実のところ『年表』編纂着手に至った詳しい事情はわからない。以下、『国立劇場二十年歩み』および『独立行政法人日本芸術文化振興会(国立劇場)50年の歩み DVD 資料篇』掲載のデータを頼りに、その経緯を編纂のための内部資料(一部公刊)の側面からまとめてみる。

・74年3月刊『第一次調査対象劇場・興行期間一覧表(昭和49年3月31日現在の調査による)
・74年6月刊『明治以降全国主要劇場名一覧』
・75年3月『東京・大阪・京都・横浜・金沢・下関・九州・劇場略史一覧(昭和50年3月1日現在の調査による)』
・75年3月~80年8月『近代演劇文化』
・76年3月~81年3月『大阪興行略年表』

私の知る調査室の状況は、これらの基礎調査や番付などの資料収集を経た後、つまり、調査や収集に関わる予算措置も整い、『年表』作成の準備段階である。

当時の調査室の仕事は、この『年表』作成の準備だけではなく、興行毎に作成される『上演資料集』や文献の翻刻出版等多岐に亘っていた。その頃の調査室全体を取り仕切っていたのが室長の松井敏明氏と専門調査員の服部幸雄氏であった。このお二人は、いわば服部さんが表方、松井さんが裏方のような印象だった。また、嘱託として朝日全書の編集者だった藤尾真一氏や、事務方の久保田伸子氏など、そして多数のアルバイトのみなさんがいらした。松井さん、服部さん、藤尾さん、久保田さんが蓮華座に転居なさって久しい。改めてご冥福を祈ります。