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出版部

「西福寺文書」「青方文書」が重要文化財に指定されました

令和6年3月15日の文化審議会答申で、「西福寺文書」と「青方文書」が新たに重要文化財に指定されました。

2024年3月15日 文化審議会の答申(国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定等及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録)(文化庁HP)

各文書は「史料纂集古文書編」として翻刻、刊行しております。


史料纂集古文書編 第4回配本 西福寺文書〔オンデマンド版〕

玉山成元校訂
1973年発行

西福寺は福井県敦賀市にある浄土宗の名刹で、良如智水が応安元年(1368)8月、後光厳天皇の勅願所として開山した。
本書には、文保元年7月の山内資綱置文以下286通の文書と大原山縁起一巻を収める。
中世寺院の成立と発展の過程をはじめ、融通念仏と浄土宗との関係、武家と宗教儀礼との交渉、さらに土地制度とくに在地構造を明らかにする上で極めて重要なものである。

〔収録範囲〕
文保元(1317)~寛永5(1628)
○崇光上皇西福寺を勅願所とせらる
○山内将経櫛川郷原の田地二段を西福寺に寄進す
○開山上人良如浄善寄進の本御所田につき置文す
○違乱あらば本寺浄華院に訴うべし
○山内重経相伝の私領を阿古女買得し寄進状を副え西福寺に寄進す
○斯波義将西福寺々領を安堵す
○斯波義重四町二段余の寺領を安堵す
○百姓逃散につき経尊ら連署して西福寺に誓約す
○足利義持西福寺を幕府の祈願所とす
○良如融通念仏勧進のため西福寺を建立
○浄華院等熈華開院良秀師壇一致して寺運を護るべき旨西福寺に置文す
○足利義教西福寺を祈願所とし寺領を安堵す
○守護代甲斐常治斯波義淳の命を奉じ寺領を安堵す
○後花園天皇浄華院聖深に西福寺一切経勧進の綸旨を賜う
○浄鎮経蔵の板木出入下行米のことを定む
○朝倉敏景西福寺領に武士の立入るを禁ず
○朝倉教景橋料として十分一の課役を徴す
○信長木下祐久をして秀吉の禁制を承認することを伝う
○大原山縁起
○解題


史料纂集古文書編 第6回配本 青方文書1〔オンデマンド版〕
史料纂集古文書編 第9回配本 青方文書2〔オンデマンド版〕
 

瀬野精一郎校訂
続群書類従完成会
1975年(第1巻)、1976年(第2巻)発行

本文書は、長崎県五島列島中通島青方に居を構え、平安以来、主として海上を舞台に活躍した中世武士青方氏に伝わる文書である。
その文書は鎌倉初期から近世に及ぶ約四百通で、松浦党の党組織に関する文書の外に、海賊関係の史料を含む。
また、松浦党の有力な経済源である五島列島の漁場をめぐる相論等、中世の漁業史料としても他に類例を見ないものである。

〔第1巻 収録範囲〕
建久7(1196)~元弘3(1333)
○松浦連の濫妨を停止し僧尋覚の地頭職を安堵せしむ
○守護人問注記を関東に進上す
○毎月六斎日并に二季彼岸の殺生を禁ず
○峯湛と青方能高小値賀島内浦部島地頭職につき相論す
○友清又次郎入道博多荘浜石築役を勤仕すべし
○白魚時高肥前高姪浜警固番役を勤仕す
○能高と湛の相論宰府関東で訴陳八問八答に及ぶ
○青方家高蒙古合戦勲功賞として神崎荘を配分さる
○青方高家に要害所石築地乱杭切立破損の修固を命ず
○難破唐船に積載の御物以下雑物等を注進す
○日本国船高麗国に襲渡り年貢米細布を奪取る
○重代御家人を住人と称するは悪口なり
○重教は北条師時の梶取
○公事は分限に従い惣領に寄合すべし
○堺深に青方内鮎河浦地頭職を銭五十貫文にて売渡す
○網一張は惣領内に所を嫌わず立てらるべし
○材木船木海草物を漁取す
○山野河海に惣領違乱すべからず
○下人半次郎一類を青方孫二郎に去渡す
○青方覚性鎮西探題北条英時誅伐のため馳参ず

〔第2巻 収録範囲〕
建武元(1334)~寛文3(1663)
○関東非拠の沙汰により没収された所領多し
○青方高直石清水賀茂社行幸の辻固を勤仕す
○新田義貞誅伐を肥前守護代をして同国地頭御家人に触れしむ
○高直筑後で菊池勢と合戦す
○山城男山の凶徒没落を九州御家人に触る
○松浦一族恩賞不足により一揆して公方に訴う
○松浦氏と平戸松浦氏網代について相論す
○南北両朝の和議を報じ青方一族の馳参を催促す
○松浦理青方氏と訴松を止め所領を中分す
○青方重等船粮米等を抑留さるにより一揆して訴う
○青方重征西将軍宮方として長者原合戦に軍忠を抽ず
○宇久有河住人等寄合網代の相論を治定す
○宇久有河青方多尾一族等一揆契諾を結ぶ
○下松浦住人等一揆契諾を結ぶ
○祝言島に一年に駒一匹放つべし
○西浦部所領の軍役分担を定む
○五島住人等一揆契諾を結ぶ
○宇久浦住人一揆契諾を結ぶ
○五島住人等青方氏と松田氏との所々相論を裁く
○黒船長崎入津
○青方氏家譜
○解題
○補遺
○人名索引
○地名索引