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出版部

松平定信の晩年の自筆日記『花月日記』(岡嶌偉久子)

史料纂集古記録編『花月日記』は、江戸幕府老中筆頭であった松平定信の自筆日記である。「寛政の改革」後、引退して白河藩下屋敷に隠棲して以降、17年間の長期にわたる詳細な記録。
幕政を離れ、引退後の日々の日常が書かれたその日記には、数多くの和歌とともに家族や親族、友人たちが登場し、ところどころに定信の人物評伝などが散りばめられている。

「寛政の改革」を断行した松平定信の晩年の日記

若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信(1758ー1829)。その定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記が『花月日記』である。

退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。17年間を通しては一体どれだけの量となるだろうか。

幕政を離れ、退隠後の日々の日常

日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。

まず息定永とその正室綱子、次郎である定栄(真田家養嗣子、後の真田幸貫)、また、各大名の正室となっていく娘たちとその夫、定信の後室隼、さらに姉・妹・実母…。

ごく近しい友人として折にふれて記されているのは「月の君」こと堀田正敦、「林の君」こと林述斎である。この二人との「底意なき交じらい」「心隔てぬ友垣」の様には何よりも美しいものがある。時々には内藤信敦・松平輝延・牧野忠精・酒井忠進・松浦静山…、また「寛政の改革」以降も定信の政治基調を維持したいわゆる「寛政の遺老」松平信明等。

幕政を離れ、さらには藩主も退任して後の定信ではあるが、助言・教導を求めて来訪・対面を願う者は絶えなかった。定信はそのほとんどを謝絶、または1年延ばしなどとはするものの、それでも、日記中には多彩な人物の名が見える。様々な大名家当主、世子、藩の問題を抱えた家老達。また、当代の文化人、北村季文・市川米庵・屋代弘賢等との交流、時に杉田玄白・頼山陽・村田春海・塙保己一等の名もあがる。

記述に垣間見られる、定信の思いと心情の吐露

定信は、日記中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、何かの折には現れてくる。稀に激越な口調となるのが、当時の世情、特に、ロシアその他からの異国船来航に対しての海辺防備への不安と焦燥である。定信は、文化7年、幕府長年の懸案であった江戸湾警備の一環として房総半島警備の任に就く。自ら望んでの任であったようだ。文政6年3月、桑名への転封と共に同任も解かれるが、その時『花月日記』には、その間に藩で整えた防備のための大筒「一貫目六尺筒」以下225挺が一つ一つ記されており、定信の心情が思われる。

種々の批判はあるものの、定信の行った「寛政の改革」は、財政改革という点では確かに大きな成功を収めた。その安定を基に、文化文政時代と称される江戸期における文化隆盛の一時代が到来する。「寛政の改革」の主導者である定信は、この文化文政期における第一流の文化人でもあった。同時に、文化面での庇護者的な役割を果たしていることも、当日記には具体的に見て取れる。

『花月日記』の中に折々に記されている、定信の見識を通じての、当代の世情、事件、及び政治・文化面の具体的な記述、様々な人物への評言には、実に興味深いものがある。

 

【松平定信(1758-1829)】

宝暦8年に生まれる。幼名は賢丸。父は徳川御三卿田安宗武。祖父は八代将軍吉宗。安永3年17歳の時、奥州白河侯松平越中守定邦の養嗣子となり定信と改め、天明3年26歳で家督を継いで藩政にあたった。同7年、30歳にして老中首座にあげられ、寛政の改革を断行、寛政5年36歳にして職を退く。文化9年55歳を以って致仕、封を嫡子定永に譲り、以降、居を藩邸の下屋敷築地に移して楽翁あるいは花月翁と称した。文政12年薨72歳。諡は守国公。

本日記の翻刻は、平成11年3月以降、天理図書館編『ビブリア』誌上に連載し、令和2年5月に完結。この度『史料纂集古記録編』収録にあたって、新たな校訂を加えたものである。

https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/2234

 

【著者】
岡嶌偉久子(おかじまいくこ)
島根県松江市出身
天理大学国文学国語学科卒業
天理大学付属天理図書館に勤務
甲南女子大学文学研究科博士課程満期退学
2010年『源氏物語写本の書誌学的研究』で博士(文学、國學院大學)
現在、天理大学付属天理図書館稀書目録室長

【主要著書】
・単著
『源氏物語写本の書誌学的研究』おうふう 2010年5月 (関根賞受賞)
『尾州家河内本源氏物語』全10巻(解題) 八木書店 2010年12月~2013年12月
『林逸抄』おうふう 2012年 (池田亀鑑賞受賞)
『源氏物語 池田本』全10巻(解題)八木書店 2016年6月~2018年4月

・共著
『本文研究 考証・情報・資料』第1~6集 和泉書院 1996年7月~2004年5月
『善本図録』天理大学出版部 1997年11月
『王朝文学の本質と変容 散文篇』和泉書院 2001年11月
『継続資料と和古書・漢籍の組織化』日本図書館協会 2005年6月
『源氏物語の新研究-本文と表現を考える』新典社 2008年11月
『伊勢物語古注釈大成』第4巻 笠間書院 2009年10月
『天理図書館稀書目録 和漢書之部第五』 天理大学出版部 2010年10月
『もっと知りたい池田亀鑑と「源氏物語」』第1集 新典社 2011年5月
『もっと知りたい池田亀鑑と「源氏物語」』第2集 新典社 2013年8月
『もっと知りたい池田亀鑑と「源氏物語」』第3集 新典社 2016年9月
『源氏物語本文研究の可能性』和泉書院 2020年3月

・松平定信関係論文
「松平定信自筆『今波恋』―源氏物語の書写日記―」一・二(『ビブリア』第107・108号、1997年5月・11月)
「松平定信「日記」攷-『花月日記』を中心に」(『ビブリア』第110号、1998年10月)
「『花月日記』―雅文と歌の中に見るもの」(『文学』第7巻第1号、2006年1月)他