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諸名家の宝庫を渉猟する

京都の平瀬家本を買う 村口四郎 【諸名家の宝庫を渉猟する3】

井上(周一郎、本郷井上書店) それだけの点数だと、にわかに引き受けられたのでは、大変だったでしょう。

村口 店には父の代から引きつづいて、二十年以上も勤めてくれた番頭がいましてね。池の内といいましたが、それが父の仕込みで、万事心得ていて、日常の仕事は、そつなくやってくれていました。私は棚の本なんか、ほとんどさわりません。店の帳場の前にすわって、客の対応をしたり、入札のある日には市(いち)場、つまりいまの古書会館、当時は図書倶楽部といいましたが、そこへ出かけたりで、何とかお茶をにごしてました。目録の方は、その後一遍も出しませんがね。

反町 あなたがお店を引きつがれてからの、大口の仕入れや、主催された売立は、どんなものでしたか。昭和十六年春の平瀬家などは、早い方ではありませんか。

村口 そう、あれなどが大口の最初でしょうね。

反町 平瀬家は大阪では累代の富豪で、特に明治時代には、平瀬露香という有名な趣味家・蒐集家が出た家ですから、良い物がありましたね。あれは大阪で買われたんですか、京都でですか。

村口 京都の平瀬さんの邸でです。

反町 では、御所の西側の、室町のお宅でですね。

村口 そう、富岡(鉄斎)さんのお宅の近くです。

反町 ああやっぱり、あそこですね。私もあちらで、昭和十九年かに古書をたくさん頂戴し、戦争の激化で、もうトラックなどは傭えないので、色々輸送に苦心して、牛車で運んだことがあります。私の買ったのもたくさんでしたが、じゃあ、あなたの買われた残りでしたね。

村口 私は大阪の中尾松泉堂の先代、中野熊太郎氏の手引きで、あの人につれられて、平瀬家へ行きました。平瀬家では、御主人でなく、支配人のような人が応対されました。一遍に買ったのではなく、四、五回に分けてね。一回ごとに、いくらかずつ値段のかけひきというか、やりとりがあって、結局承諾される。一回買うと、その本を引きとってすぐ東京へ持って帰らず、たしか八坂の祇園神社の横通りにあった家の二階を借りて、そこへ入れて置く。すぐ東京へ引き返して、お金の工面をして来て、又次ぎを買う。そういうのを四、五回繰り返しました。それで全体では一万二千円か、一万五千円くらいだったと思います。その頃のお金としては相当の大金で、大口でした。

井上 平瀬家の入札会の目録は、出来てなかったのでしょう、反町さん。

反町 四六判(B6判)二十二ページ、二三一点をのせた目録が出来て居ります。伊勢や源氏の本文や註釈書の古写本の多い、立派な目録です。今日出たら随分人気がわくでしょう。江戸時代の浮世草子や古浄瑠璃本にも珍しいものがある。ごく珍本では古活字版の「犬短歌」、これは多分天下一本でしょう。又比叡山の麓の門跡寺院曼殊院旧蔵の歌書の古写本が沢山ありました。

村口 あそこの本には、みな小さな朱の蔵書印が押してありました。何とか文庫とかいう……。

反町 そう、「千種文庫」とあったようですね。小型のかわいい印です。とにかく、書物の保存のよい上口でした。御大家の蔵品らしい。よく記憶しているのは、下見の時に見たのでしょうか。中に文禄二年上山与兵衛尉書写の奥書のある舞の本四十冊がありましてね。これは幸若舞の古写本としてはずいぶん古い。年記のあるものとしては、多分一番古いだろう。それに、普通の本はみな三十六冊なのに、四十冊四十六番もあるのは珍しい。これだけはぜひ買わなければならない、と決心していましたが、翌日の入札の結果は、老巧の京都の佐々木苞楼さん(先々代)にとられてしまいました。京大の先生あたりの御注文だったのでしょうか。その後転々して、現在は天理にあります。

村口 あれなどはまあ、落札値はいくらだったか忘れたが、あの口で、一番高価のものの一つでしたな。それから引き続いて、大阪でも平瀬家の蔵書の入札をしたんです。これは少量でしたけれど……。

反町 どうしたわけか私はこの目録をもらわず、出席もしていない。目録はズッと後に大阪の岡田真さんから分けて頂いた。四月十五日の大阪古典会の持寄入札会に出品されたので、点数は少ないが珍本があった。古写本古書記三冊一六七八円、曼殊院本の古写本日本書紀一冊一五五九円、同じく曼殊院本唐物語天正八年写二三〇円、元和三年古写大型本しぐれ物語五七円、精進魚類物語古写雅本八五円などは、一体どこへ行ったんでしょうかね。

(つづく)


※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口四郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏

※聴講者
井上・・・・・・井上書店 井上周一郎氏
八木(敏夫)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(佐吉)・・・・・・丸善株式会社 八木佐吉氏
酒井・・・・・・一誠堂書店 酒井宇吉氏
古屋(柏林社)・・・・・・柏林社書店 古屋幸太郎氏


著者

村口四郎
村口書房主

明治四十二年十一月 東京に生、半次郎氏三男。
大正十一年三月 錦華小学校卒業。
昭和二年三月 私立開成中学校卒業。
昭和三年四月 明治大学商学部中退。
昭和十五年一月 父業継承。
昭和五十九年五月歿。
東京古書籍商業組合・全国古書籍協同組合理事長、東京古典会々長、ABAJ(日本古書籍商協会)会長等を歴任。


 

※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(昭和篇)でお読みいただけます。

        

『紙魚の昔がたり』(昭和篇)  関連書・『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)